テリトーリオ

vol.6

「テリトーリオ研究を通して感じる、異邦人の視点と建築の本質」

ケニア・エチオピアへの
旅:既成概念の崩壊

 小堀氏がアフリカ、特にケニアへ向かった当初の動機は、昨年実施された大阪・関西万博の「クラゲ館」設計において、現地の祭りや踊り、音楽を調査することにありました。しかし、そこで直面したのは、これまで日本や欧米のモダニズムの中で学んできた建築教育や社会のあり方が、全く通用しないという強烈な違和感でした。
 ケニアは中所得者層が増えているとはいえ、そこには先進国の概念から大きく外れた「地域性」が存在していました。小堀氏は、人類発祥の地であるエチオピアやケニアが、なぜ現状のような(先進国とは異なる)状況で成立しているのかに強い興味を抱きます。
 また、法政大学の坂田泉先生(法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師:一般社団法人OSAジャパン会長)による「ブラックコットンソイル(黒綿土)」を用いた建材開発の試みも大きな契機となりました。水を含むと膨張し、建設現場では厄介者として除去されるこの土を、火山灰などの自然素材だけで固形化し、新たな可能性を見出そうとする坂田氏の姿勢に小堀氏は感銘を受け、学生たちにも「真逆の世界観」を経験させたいと考えたのです。

ニューヨークとアフリカ:二つの極致から見える「生きていく力」

 小堀氏は、アフリカ渡航の直前にニューヨークを訪れていました。経済の中心地であり、名だたる建築家のビルが建ち並ぶニューヨークでは、物価が恐ろしく高く、年収3,000万円以上なければ暮らせないような「お金と知識と言語」の頂点にある世界を目の当たりにします。
 しかし、その直後に訪れたアフリカで小堀氏が感動したのは、全く別の種類の「強さ」でした。エチオピアの巨大マーケット「メルカート(Merkato)」では、先進国から捨てられたゴミ(ファッションロスや中古の鉄筋など)を資源として再利用し、フライパンや靴、建材までをも自分たちの手で器用に作り上げる人々の姿がありました。
 【分業と自給の差】:先進国ではお金を払ってサービスや物を買いますが、彼らは自ら作ることで生活を成立させています。
 【幸福の在り方】: ニューヨークの人々がお金に縛られギスギスしているように見えたのに対し、アフリカの人々は楽観的で、根源的な「生きていける力」に満ちていました。小堀氏は、このギャップをほぼ同時に経験したことで、「我々は本当に幸せなのか」という問いを突きつけられたと述べています。

非言語的コミュニケーションと精神的豊かさ

 アフリカでの体験を通じて、過去の経験や知識の再構築といったことも実感されています。そしてそれらのもつ精神的豊かさや固定観念の揺るぎについても話されました。
 【音楽と身体性】: 京都大学名誉教授の山極寿一氏との対話を通じ、小堀氏は「言語より先に音楽があった」という視点を得ます。ピグミーの「ポリフォニー(多声合奏)」のように、個々が異なるメロディーを奏でながら全体として調和する姿に、複雑で身体的な世界観を見出しました。
 【おもてなしの儀式】: エチオピアで体験したコーヒーの儀式、それは豆の焙煎から始まり、乳香を焚いて精霊を呼び起こすような作法を伴うものでした。これは日本の茶道と驚くほど共通しており、目に見える経済的な豊かさとは別に、極めて豊かな精神世界がそこにあることを証明していました。
 【プライベートとパブリックの逆転】: 探検家(人類学者)である関野吉晴氏の話を引用し、小堀氏は「家の中がパブリック(全員がいる場所)で、外がプライベート(トイレや個人的な行為の場)」という、日本とは真逆の空間概念を実体験したことを話されています。こうした価値観の相違こそが、建築家の固定観念を揺さぶる鍵となります。

今回(第3回)のテリトーリオ研究を経て

 今回の研究について既存の概念を超えた「未知の領域」への挑戦として、小堀氏は位置付け、自身がこれまで学んできた近代建築教育(モダニズム)や社会のあり方が通用しない場所として、ケニアやエチオピアでの体験を挙げています。
 小堀氏が学生時代から体験してきた、イタリアでの「陣内研(法政大学陣内秀信名誉教授)」の活動を通じてイタリアの神髄に触れた後、さらにその「真逆の世界観」としてアフリカの地域性に注目しています。自分の知っているテリトリー(領域)とは全く異なる場所へ「異邦人」や「マイノリティ」として身を置くことで、既存の正義や常識を疑い、五感を働かせることが重要だと説いています。
 インターネットやAIや本で情報を整理・検索して得られる「正解」ではなく、その場所へ実際に行き、自分自身が感じた「リアルな経験」こそが、テリトーリオ研究における正解であると考えています。そして、効率やコストで判断する現代社会の尺度から外れ、その場所にしかない固有の価値や物語をどう見つけ出すかが、テリトーリオ研究の核心であるとも述べていらっしゃいます。
 カンボジアの遺跡調査を行う中川武氏(早稲田大学名誉教授)の姿勢を例に、テリトーリオの捉え方についても述べられています。歴史家の想像力ということに触れ、中川氏がアンコール・ワットのバイヨン遺跡について、明確なエビデンスがない部分を自らの想像力で補い、物語(学説)として構築している姿を、小堀氏は「クリエイター(建築家)的な歴史家」の姿であると評しています。また、「現地の知恵をあぶり出す」ことの重要性についても触れ、近代的なコンクリートを使って修復を行う他国のチームに対し、中川氏が現地の地層や土の性質を分析し、当時の知恵を現代の技術であぶり出して修復しようとする姿勢も、その土地のテリトーリオを尊重する活動の一環として述べられています。

まとめにかえて《教育者としてのスタンス:異邦人であれ》

 小堀氏は学生に対し、「井の中の蛙」にならないよう、あえて「異邦人」として厳しい環境や未知のテリトリーに身を投じることを推奨しています。インターネットやAIで正解を検索するのではなく、現場で自分がどう感じたかという「リアルな経験」こそが正解である。
 「失敗とトレーニング」の重要性についても触れ、 学生時代に自分の考えを先鋭化させた結果、全く評価されず悔しい思いをすることも必要なトレーニングであり、それがやがて社会の複雑怪奇さに立ち向かう武器となると述べられています。そして、「面白がる力」についても説かれ、最終的には「なぜ建築を造るのか」という問いに対し、自分自身や社会を知る手段として建築を「面白がり、吸収し続ける」姿勢が、人生の目的(幸せ)に繋がると結論づけられています。
 小堀哲夫氏の語る建築論は、図面上の設計を超え、人間が「いかに生きるか」という根源的な問いに根ざしています。先進国の合理主義から距離を置き、アフリカやアジアの混沌とした「つくる力」の中に身を置くことで、建築という行為を「人生を通じて世界を知るための旅」として定義し直しているのです。

以上
※小堀哲夫氏へのインタビューをまとめる形式で文章化しました(文責:杉本浩二)