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Interview 01

「池」という文化

インタビュー:中島 直人氏

日時:2025年12月8日  場所:東京大学 本郷キャンパス 工学部14号館

中島 直人(なかじま なおと)

東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授
1976年東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院助手、同助教、イェール大学客員研究員、慶應義塾大学専任講師、同准教授、東京大学大学院准教授を経て、2023年12月より現職。専門は都市計画。主な著作に『都市計画家の一〇〇年 創造社会を生きるアーバニストへ』(東京大学出版会、2025年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年、日本都市計画学会論文賞受賞/日本建築学会著作賞受賞)、『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』(東京大学出版会、2009年、東京市政調査会藤田賞受賞)、『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共編著、東京大学出版会、2020年)、『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)『都市計画家石川栄耀 都市探求の軌跡』(共著、鹿島出版会、2009年、日本都市計画学会石川奨励賞受賞)、『ニューヨークのパブリックスペースムーブメント 公共空間からの都市改革』(編著、学芸出版社、2023年)。「人・運動・場所から編成する都市計画史に関する一連の研究」で2024年度日本建築学会賞(論文)を受賞

「池」は都市生活者にとって、もっとも親しみやすい水辺
池とまちをつなぐ、上野・不忍池の実験的な取り組み。

都市と水辺の関係について、取り組まれている研究やプロジェクトについて教えてください。

中島:現在、私の研究室で重点的に活動している場所の一つが、上野の「不忍池」のほとり、池之端です。コロナ禍以前から「いけまち研究会」という組織を立ち上げ、不忍池とまちをつなぎ直す取り組みを続けています。不忍池の南側にある仲町通りの周辺は、かつての花街で老舗もいくつかあり、文化的な魅力を持っていますが、一方で現在は歓楽街で、風俗店も多く、訪れにくい雰囲気が漂っていました。そこで、地元の方々と大学が協力し、空きスナックに文化的コンテンツを入れていく「アート&スナック運動」というプロジェクトを始めました。芸大や東大が近くにある上野の特性を生かし、芸術や学術を媒介に新しい利用者を呼び込む試みです。そのプロジェクトの延長で、このまちと池との間にある不忍通りのリデザインに取り組んでいます。
 私は、上野の文化は不忍池を中心に、池とまちの往来の中で育まれてきたと考えています。森鴎外の『雁』には、本郷台地から坂を下り、不忍池のほとりを回遊し、上野のまちへ行くという動線が描かれています。しかし現在は、公園とまちの間に幅員の大きな不忍通りが走り、往来が難しくなっている。そこで、不忍通りの車線を減らして歩行者が渡りやすくしたり、公園の植栽やロープを見直して境界を緩和する実験をしたりと、池とまちをつなぐ都市空間の改善にも取り組んでいるわけです。都市と水辺の関係を考えるとき、私は「池」が非常に重要だと思っています。川や海ももちろん大切ですが、都市生活者にとって最も身近で親しみやすく、まちの中心となりえる水辺は、池なのではないかと感じています。

地域住民に育まれてきた「善福寺池」
都市の水辺にとって重要なのは、住民が能動的に関わること。

他に注目されている水辺のまちはありますか?

中島:特に注目しているというよりは、一番親しくしている池になりますが、自分が生まれ育ち、今もその近くで暮らしている杉並区善福寺にある善福寺池です。地域の中心には善福寺池を抱く「善福寺公園」があり、私は近隣住民の有志の方々と、子どもたちの記憶に残る経験・環境づくりを目的とした活動を行っています。
 大学では不忍池、地元では善福寺池と、私は池と深く関わってきました。善福寺池は、私の研究者としての原点でもあります。善福寺公園の起源は1930年に指定された善福寺風致地区です。もともと善福寺池は今よりも小さく、その周辺は地元農家さんたちの田んぼだった場所です。この池を中心に風致地区が指定された後、地元農家さんたちが中心となって風致協会という社団法人が設立され、1961年の都立公園としての開園までの間、土地提供やボート経営、景観保全などの啓蒙活動を通じて東京府や東京都と協働してまちづくりを行ってきました。そうした地域の方々の努力によって守られ、育てられた善福寺池は、小学生の頃の私にとって生活の中心というか、通学路であり、ジョギングの場所であり、ザリガニ釣りの場所でもありました。だからこそ、水辺と聞くと真っ先に池が思い浮かぶ。私の卒業論文は、この風致協会の活動の歴史を描いたものです。現在の私たちの研究室でも、池をテーマにした研究も幾つかやってきました。池は私にとって特別な存在です。
 池は日本や中国のように庭園文化がある地域では特に重要な水辺です。欧米の都市ではそうした池は少ないのではないかと思います。日本や中国などの都市では池が、飲料水や農業用水の水源としてはもちろん、日々の生活の中心にあって、レクリエーションの場として生活の質を高める役割を果たしてきました。
 また、池は人の手によってデザインされてきた場所でもあります。例えば、善福寺池には“上の池”と“下の池”という2つの池があります。“上の池”は古くからある水源地で、もうひとつの“下の池”は、もともとは川で周りが田んぼだったところをせき止めて作った新しい池です。2つの池は戦前に風致協会の人たちが、それぞれ性格の違うものとしてデザインしようということで作ったものなんです。「石神井公園」もそうです。あそこには“三宝寺池”と“石神井池”があるんですが、“三宝寺池”は古くからの深淵な雰囲気を今も保っている一方で、“石神井池”の方は新しい池で、ボートで遊べる池として非常に明るい雰囲気です。善福寺池と同じ時代に石神井公園にも風致協会ができて、都市計画として池をデザインしてきているんです。「井の頭公園」の池もそうですし、そういうものが、東京の成熟した市街地における水辺との付き合い方としてあるんだろうと思います。
 治水と引き換えに水辺が遠くなった川と違って、池はかなり近くまで人が立ち寄れます。昔は池の中に入ったりしていたんですけが、今はなかなか入ることができないかもしれないし、魚釣りとかもやっちゃいけないことになっていますが、多くの人が過ごすことができる、すごく穏やかな水辺なんですよね。そういうところを、東京の水辺の一つとして注目して、活動しています。

善福寺池では、“上の池”と“下の池”という異なる性格の池を地元の人たちが作ったという事ですが、こうした自分たちで池をつくるという発想は重要なのでしょうか?

中島:非常に重要だと思います。善福寺公園では、“上の池”をレクリエーションの場に、“下の池”を武蔵野の原風景を残す場にするという役割分担がなされています。石神井公園でも同様に、“三宝寺池”と“石神井池”が異なる性格を持っています。なお善福寺では、戦前に大規模な井荻土地区画整理事業を行った際、当時の井荻町長が池とその周辺の土地をこの地域の風致、自然資源であると捉え、あえて事業範囲から外し、宅地化を防ぎました。池の周辺の地主たちは土地を持ち続け、それを引き継ぐかたちで後に東京都が公園として整備しました。こうした住民の思いが、現在の善福寺公園の豊かな環境を支えています。地元の人々は今でも「善福寺公園は自分たちの場所だ」という意識を持っています。これはもちろん悪い意味ではなく、公園に対する強い関心と愛着があるということです。公園の管理に対して意見を述べたり、緑や生き物を守る活動を行ったりと、住民が能動的に関わる文化が根付いています。

中島先生は、善福寺公園でどのような活動をされているのでしょうか?

中島:地域の友人たちと「善福寺どんぐり・ピクニッククラブ」という会をつくり、活動しています。この会で毎年行っているのは、秋の「あかりテラス」という取り組みです。地域の様々な方々に参加してもらい、行燈を手作りし、それらを池の周囲や池の中にある弁財天に向かう参道となっている階段に並べて、望ましい夜間環境を実験的に生み出すというものです。住民が公園環境に主体的に関わる“かかわりしろ”を生み出す取り組みです。
 また、2024年と2025年の夏に行ってきたのは、公園の暑熱対策としてテントやタープによって水辺近くの遊具やその周辺に陰を生み出す社会実験「こかげハウス」です。夏の公園が暑すぎて子どもが遊べないという課題に対し、地域主導で解決策を提示する取り組みです。2年間の実験を経て、来年からは公園の正式な取り組みとする方向で検討が進んでいます。住民が公園や水辺に能動的に関わることが、これからの都市にとって非常に重要だと感じています。

池の魅力は、「生物多様性」、「回遊性」、「中心性」
公園とまちが“相互浸透”した都市空間が理想のかたち。

池にはどのような魅力や特徴があるとお考えですか?

中島:池の魅力は大きく三つの要素に整理できます。
① 穏やかな水面が育む「生物多様性」
池の水は動きが少なく、緑色を帯びることが多い。これはプランクトンが豊富で、生物が豊かに存在している証拠で、野鳥や昆虫など多様な生き物が集まります。ある意味、閉鎖水域である池は、川とは異なる独自の生態系を育む場所になっています。
② 人が立ち寄れる「回遊性」
池の周囲には園路が整備され、ぐるりと一周できることが多い。庭園文化の影響もあり、池は「歩いて楽しむ」空間としてデザインされてきました。川のような管理用通路や柵で区切られていることが少なく、人が水辺に近づきやすい点も特徴です。
③ まちを形成する「中心性」
池は水源地であるため、まちの中で最も低い場所に位置し、結果として水だけでなく人も集まってきます。武蔵野台地の崖線に沿って形成された地形の中で、池は住宅地の中心として機能してきました。不忍池のある上野でも、善福寺池のある善福寺でも池を中心にまちが形成されています。

現代において、池にはどのような役割が求められていると考えますか?

中島:上野の不忍池を例にすると、かつて池の周りは博覧会の会場として使われ、西洋文化の紹介や競馬場としての利用など、多様な活動が展開されていました。水辺は文化や娯楽が生まれる場だったのです。しかし、近代公園としての整備が進む中で、そうした多様性は失われ、公園は「静かに休む場所」というイメージに収束していきました。私たちはそうした歴史を意識しながら、「池のほとりの本のみち」という社会実験を行い、古書店の屋台を並べたり、本を読む場所を設けたりして、水辺に文化を呼び戻す取り組みを続けています。
 私は、公園とまちの境界をもっと曖昧にし、相互に浸透し合う関係が理想だと考えています。まちの文化が公園に入り込み、公園の自然がまちに滲み出すような関係です。ニューヨークの「ブライアントパーク」のように、まちと公園をつなぐことで人々の利用が増え、治安が改善した例もあります。ニューヨークはこの10年くらい、ずっと“Parks Without Borders“という取り組みをやっています。それは、いかに公園とまちとの間の壁をなくして相互浸透させるかということとシンクロしていると思うのですが、単なる空間的な浸透だけじゃなくて、文化とか、そういうものも含めて、公園的なものとか、池的なものとか、まち的なものが、混ざり合うということなんです。

池は川と比べて、地域の人が関わりやすいのはなぜでしょうか?例えば、柏の葉スマートシティでは調整池を活用した空間がありますが、どのように見ていますか?

中島:さきほどご説明した池そのものの性質があると思います。加えて、公園化による多様性の喪失という発言と少し矛盾するようですが、やはり公園の中にある水辺であることが大きいと思います。川に比べて安全基準が緩やかで、管理もしやすい。水深はありますが、水の動きが穏やかで、老若男女、地域の人が関わりやすい環境です。
 柏の葉スマートシティの調整池は現代的な池の活用例だと思います。本来は公園ではない調整池を、人が休める場所として整備している。生態系の観点からも、池はビオトープとしての価値が高く、人と自然が関わる新しい場として期待できます。なお、実用的な排水路、コンクリート製水路、貯水池のネットワークを、排水・給水機能を超えた、美しく清潔な河川や湖へと変革し、コミュニティのレクリエーションのための新たな空間を創出することを目的とした類似の取り組みとしては、シンガポールの「アクティブ・ビューティフル・クリーン・ウォーターズ」プログラムが知られていますね。

アジアの都市にはまちとの境界がなく、
生活に密着した“苑池文化”が息づいている。

海外にも、池を中心にした開発や都市空間は存在するのでしょうか?

中島:もちろんあります。特にアジア圏、たとえば中国やベトナムのハノイなどには、池を中心とした公園や公共空間が数多くあり、豊かなアクティビティが生まれています。日本の池と似ている部分もありますが、決定的に違うのは「まちとの境界の薄さ」です。日本の都市公園にある池は、どうしても公園の内部に“囲われて”存在している印象がありますが、中国やベトナムでは、池がまちの生活空間とほとんど地続きになっていて、街路からそのまま池の縁に歩いていけるような場所が多い印象です。池が“公園の中の要素”というより、“まちの中心にある水辺”として機能しているわけです。
 また、中国には「中国庭園」と呼ばれる伝統的な庭園文化があり、その中心には必ずと言っていいほど池が配置されています。庭園の中にある池は「苑池(えんち)」と呼ばれますが、これはアジア特有の水辺文化の象徴とも言える存在です。苑池は単なる景観要素ではなく、生活や文化、思想と深く結びついています。中国の蘇州などの都市には、池や水路が縦横に張り巡らされていて、水辺が生活のすぐそばにある。水辺に対する意識や風景の捉え方が、日本よりもさらに生活に密着している印象があります。一方で、欧米の都市公園にももちろん池があることはありますが、アジアのように文化的・生活的な意味を持つ池は少ないように思います。それぞれの文化を反映させた池のありかたの違いについては、今後、研究していきたいところです。

池は都市のグリーンインフラの一部
自然水系の再生を考える視点が必要。

都市における“苑池”には、文化的な要素以外にも何か役割があるのでしょうか?

中島:私たちの研究室で、東京の大名庭園に由来する苑池を研究し、修論を書いた学生がいます。東京大学の「三四郎池」もその一つで、歴史的な苑池の典型例です。研究の中で明らかになったのは、苑池は決して“孤立した水たまり”ではなく、もともと自然の水系の中に組み込まれていたということです。湧き水や近隣の河川から水を取り込み、池に貯め、そこからまた川へと水を戻す──そうした循環の中に苑池は存在していました。つまり、池は現在の言葉で言えば「グリーンインフラ」の一部だったわけです。豪雨時には水を一時的に貯める役割を果たし、水害の緩和にも寄与していた。池は景観要素であると同時に、都市の水循環を支える重要な装置だったのです。ところが近代以降、自然水系は徐々に人工水系──下水道や深井戸など──に置き換えられていきました。水質基準の厳格化もあり、池の水をそのまま河川に流すことが難しくなり、結果として池の水は下水道へ直接流されるようになった。これによって、池は自然水系から切り離され、都市の水循環における役割を失っていきました。しかし、池を再び自然水系の一部として捉え直すことは、都市のレジリエンスを高める上でも重要です。池が雨水を受け止め、ゆっくりと流すことで、下水道への負荷を軽減できる。池を単なる“庭園の要素”としてではなく、都市の水循環を支える装置として再評価する必要があると考えています。
 たとえば、根津美術館の池は、周辺住宅地から雨水だけを集める専用の雨水管が設けられており、地域の雨水を池に取り込む仕組みが今も残っています。また、ホテルニューオータニの庭園の池は、外堀へ直接水を流す仕組みを維持しており、自然水系との接続が保たれています。東京の都市づくりにおいても、人工水系と自然水系が完全に分断された現状を見直し、池を起点に水循環を再生することが大きなテーマになると考えています。

水辺を整備する際には、
地域文化や祭礼との関係も重要な要素。

池や水辺を整備する際に考慮すべきことはありますか?

中島:横浜の「金沢シーサイドタウン」に“舟溜り”という場所があります。ここは海岸沿いの埋め立てによって造成されたニュータウンですが、もともとこの沿岸部には富岡八幡宮と漁港があり、漁業権を持つ人々が船を出し入れするための水辺が存在していました。埋め立てによって水辺が失われると、漁業権の問題が生じるため、ニュータウンの中に“舟溜り”として水面を残し、そこから海へ出られる水路を確保したのです。これは漁業機能維持ではなく、富岡八幡宮の祭礼で行われる“海からの神輿渡御”を継続するためでもありました。つまり、水辺は地域の文化や祭礼と深く結びついていたわけです。ちなみに、全体のマスタープランは槇文彦が、“舟溜り”の周辺は大高正人という優れた建築家が設計を担当しています。
 この事例も、私の研究室の修士学生が研究し、論文としてまとめたものですが、非常に示唆に富んでいます。水辺は近代以降、安全性や快適性を優先して整備されるようになり、地域固有の文化や祭礼との関係が切り捨てられてしまうことが多かった。しかし、本来水辺は地域文化の舞台であり、祭礼の場でもあった。もう一つ調査対象となった佃島の例も同様で、埋め立てや開発が進む中でも、祭礼時に舟を出すのに使えるスロープや船倉が設けられ、文化を継承するための工夫がなされています。これらの事例は、「水辺を整備する際には、その地域固有の文化や歴史を丁寧に読み解く必要がある」ということを教えてくれます。水辺はユニバーサルな公共空間というだけではなく、地域の記憶やアイデンティティが宿る場所なのです。

産業遺産を活かし、スポーツと環境教育が重なり合う
ニューヨークの「ブルックリン・ブリッジ・パーク」

新しく開発された港湾エリアなど、もともと文化が存在しなかった場所でも、祭礼のような文化的要素を新たに作る必要があるのでしょうか?

中島:必ずしも祭礼を新たに作る必要はないと思います。むしろ、ポスト工業化時代の都市では、かつての産業や工業の文脈をどう活かすかが重要になります。ヨーロッパやアメリカでは、港湾施設や倉庫、工場跡地などを「産業遺産」として保存し、それをレクリエーション空間や文化施設として再生する取り組みが広く行われています。新しい文化を“ゼロから作る”のではなく、そこにあった歴史を読み替え、現代的な価値を与えるわけです。
 その代表例が、ニューヨークの「ブルックリン・ブリッジ・パーク」です。かつての埠頭をそのまま残しつつ、ピア(桟橋)ごとに異なるスポーツやアクティビティが展開される空間に再生しています。埠頭の構造を活かしながら、バスケットボール、サッカー、ランニングなど、多様な運動ができる場を作っています。新しいまちであっても、こうした“場所の記憶”を読み解き、それを現代的な価値に翻訳することが、水辺を魅力的にする鍵になると考えています。

ブルックリン・ブリッジ・パークをどのように評価されていますか?

中島:あそこは、かなり「好きな方」の公園ですね。水辺空間としてのクオリティがとても高いと感じていますし、運営の仕組みやプログラムの作り方も非常に参考になります。特徴的なのは、公園の整備や維持管理が単に行政の予算だけで賄われているわけではなく、不動産開発とセットになっているところです。公園の周辺に開発された不動産から得られる収入が、公園マネジメントの財源として還元される仕組みになっていて、そのおかげで、あれだけの規模の公園を継続的に運営できています。さらに、地域の住民がボランティアとして公園運営に関わっていることも印象的です。また、空間デザインの面では、マウントをうまく作るなど、高低差のつけ方が非常に巧みです。空間づくりや、マネジメントのあり方も含めてクオリティが高いと感じます。ニューヨークにはいくつもピアを転用した水辺空間がありますが、その中でもブルックリン・ブリッジ・パークは、いわば“基本形”とも言える存在で、実際に最も多くの人が日常的に利用している場所の一つではないでしょうか。私は総じて、とてもポジティブに評価しています。

ブルックリン・ブリッジ・パークにはスポーツ関連以外にも、何か仕掛けがあるのでしょうか?

中島:ブルックリン・ブリッジ・パークの良さは、単にスポーツやレクリエーションだけではなく、「環境教育の拠点」として機能している点にあります。公園内にはパビリオンがあり、その周辺の水辺で牡蠣の再生プロジェクトが行われています。牡蠣が育ちやすい環境をつくり、水質改善と生態系の再生を図る試みです。それが教育プログラムと連携している。ニューヨーク市内の小学校が、必ずと言っていいほど見学や学習に訪れる場所になっていて、毎年100校規模の学校がこのプログラムに参加していると聞きました。子どもたちが、そこで行われている環境再生の取り組みを自分の目で見て、手を動かしながら学んでいく。持続可能性という観点から見ても、子ども時代のこうした体験は非常に大きな意味を持つと思います。
 スポーツ面では、カヤック、サッカー、バスケットボールなど、多様なプログラムが展開されています。そこに環境教育が重なり、さらに夏には野外映画上映など、文化・芸術のプログラムも行われている。つまり、ブルックリン・ブリッジ・パークは「運動」「環境」「文化」が重層的に重なり合う場になっているのです。ブルックリン・ブリッジ・パークは、レクリエーションと環境再生、そして教育が一体的にデザインされている、非常に先進的な水辺空間だと思います。

同じニューヨークの水辺空間として、ハドソン川にある「リトルアイランド」はいかがですか?市民が自己表現できる場や、多様なプログラムが用意されているようですが。

中島:リトルアイランドは、行ってみると「まちとの関係」という点で、少し難しさを感じました。あの不思議な、突き出したような構造は、デザインとしては非常に印象的ですし、空間としてもよくできていると思いますが、どうしても「まちから切り離された特別な場所」という感じが強い。リトルアイランドのすぐ北側には、港湾局が使っていた大きなビルがあって、そのビルの屋上が公園として開放されています。その屋上公園との関係性はとても面白いのですが、リトルアイランドと屋上公園、そして背後のまちとのあいだに、十分な「連続性」が生まれていない印象があります。リトルアイランドは、一つのピアの上でプログラムが完結している感じが強くて、「まちから自然に歩いてきて、そのまま水辺に出られる」という感覚があまりないんですね。もともと港湾機能として整備されていたピアは、まちと切り離されていた歴史があるので、そこをつなぎ直すのは簡単ではありません。ブルックリン・ブリッジ・パークも含めて、ニューヨークの水辺空間全体に共通する課題だと思います。

ニューヨーク以外で、水辺の使い方として印象に残っている都市や場所はありますか?

中島:ブリュッセルの水辺は、「まちとの関係」という意味で面白いと感じたところがあります。特に印象に残っているのは、たまたま立ち寄った運河沿いにつくられた大きなスケートボードパークです。ブリュッセルには大きな橋がいくつも架かっていますが、その橋の下からずっと続くような形で、広いスケートボードエリアが設けられているんです。東京ではあまり見かけませんが、ブリュッセルでは、橋の下を都市のアクティビティの場として積極的に使っています。スケートボードパークは、アーバンスポーツに特化した空間で、壁面や橋脚などの構造物も含めて、スケートボードの動きにフィットする形でデザインされているように見えます。もともとのインフラ(橋や護岸)の構造を前提にしながら、それを活かして新しい公共空間を作っている。その発想がとても良いなと思いました。

水都大阪の“死水域”を逆手に取り、
日常の水辺を生み出す東横堀川の「β本町橋」

日本で、ブルックリン・ブリッジ・パークのように、新しいカルチャーを生み出している水辺の事例はありますか?

中島:大阪で、「STUDIO_C」の安田康佑さんたちがやっている「東横堀川」は非常に面白い事例です。川の上には高速道路が走り、船の通行路としては使われなくなったため、「死水域」と呼ばれるエリアになっています。普通なら“使いにくい水辺”と捉えられがちですが、それを逆手に取ったのが「β本町橋」という施設です。死水域だからこそ、レジャーボートの係留が可能になり、そこを拠点に大阪の水路を巡る文化が生まれています。
 「β本町橋」にはカフェやシェアオフィスが併設され、クリエイティブな人々が集まる拠点にもなっています。ここは、杉本容子さん(一般社団法人水辺ラボ代表理事/株式会社ワイキューブ・ラボ代表取締役)が経営しています。さらに、これまで堤防によってまちと水辺が分断されていた場所に、新たな遊歩道が整備され、まちから水辺へアクセスしやすくなりました。裏側だった場所が“表”に変わり、日常的に使われる水辺空間が生まれているのです。
 大阪は「水都」としての歴史がありますが、こうした取り組みを10年、20年と積み重ねてきた結果が、日常的な水辺文化につながっていると感じています。グラングリーン大阪のような風景ももちろん素敵ですが、“ハレ”の場とは異なり、「β本町橋」は“ケ”の日常の水辺として非常に魅力的です。

水辺の魅力は、
ネットワークとアクティビティの多様性から生まれる。

池の研究や大阪の事例を聞いて、水辺は“点”ではなく“ネットワーク”として捉えることが重要だと感じましたが、いかがでしょうか?

中島:おっしゃる通りです。水辺は単体で存在するのではなく、ネットワークの中で意味を持ちます。池も川も海も、都市の中でつながり合い、文化や活動を生み出す基盤になっている。同時に、水辺のアクティビティの“ボキャブラリー”を増やすことも重要です。歩く、座る、眺めるだけでなく、買い物をする、学ぶ、運動する、遊ぶ、働く──水辺でできることが増えれば増えるほど、人々の関わり方も豊かになります。ただし、日本では公園や河川沿いの規制が厳しく、多様なアクティビティを展開しにくい面もあります。そこをどう乗り越えるかが、今後の課題だと思います。
 訪ねたのはもう10年ほど前になりますが、コペンハーゲンの川の中のプールはとても強く印象に残っています。平日の午後4時頃でも多くの人が楽しんでいました。仕事の時間と家庭の時間の間にパブリックライフの時間があり、水辺で過ごす文化が根付いている。東京ではなかなか見られない光景ですが、都市の時間の使い方が違うからこそ生まれる水辺文化だと感じました。

都市固有のストーリーや哲学を知ることによって、
その都市を「好きだ」と感じるようになる。

水辺とは関係なく、「この都市は好きだ」と感じた都市はありますか?

中島:日本で言えば、最近あらためて良いなと思ったのは長野県の松本ですね。松本は、文化や芸術の香りが強くて、松本城があるゾーンに入るとまちの雰囲気がふっと変わります。川沿いの水辺も、ただの護岸ではなく、下まで降りられるよう整備されていて、水面との距離が近い。川沿いに古い商店街や個性的なお店が並び、その先にお城があるという構成も、都市のストーリーを感じさせます。都市計画の面でも、高さ規制などをしっかり行っていて、「何を大事にするか」という哲学が明確に見える。私は現在、松本市景観審議会の会長を務めていますが、最初に松本を訪れたときから「ここは哲学のある都市だ」と感じていました。単に景観が美しいだけではなく、「何を守り、どう変えていくか」を丁寧に考えて、それを実践している都市だと思います。
 海外で言えば、メルボルンやバンクーバーの水辺も本当に素晴らしいです。私は、「特別にこの都市だけが好き」というよりは、どの都市にも固有のストーリーがあって、それを知るとどこも面白く感じられる、というタイプなんです。ニューヨークについて言えば、もちろん問題もたくさんあると思いますし、私が見ているのはごく一部の側面に過ぎませんが、それでも「いいな」と思わせる力がある。特に感じるのは、その圧倒的な包容力ですね。誰が行ってもよそ者にならない。観光客ですら、「自分もこの都市の一員のように振る舞っていい」と思える雰囲気がある。そういう都市は、世界的に見てもそう多くありません。

最近訪れた海外の都市や地域で、特に印象的だった場所はありますか?

中島:ごく最近だと、ブータンが非常に印象的でした。ブータンは、我々の近代化のプロセスや、その中で犯してきた失敗にしっかり学びながら、自分たちなりの都市や建築のあり方を模索しているように見えます。ブータンの建築様式には非常に厳格なルールがあって、モダニズム建築はほぼ存在しません。建物の高さや階数はもちろん、窓の装飾、屋根の色や形など、細部に至るまで細かいルールが決められていて、それを当然の前提として人々が暮らしている。私たちの感覚からすると「規制が厳しすぎる」と感じますが、ブータンの人たちにとっては、それが自分たちの文化を守るための当たり前の仕組みになっています。
 特に印象的だったのは、まちなかに屋外広告が一切ないことです。車社会でありながら、道路沿いに看板や広告が並んでいない。代わりに、美しい谷と斜面に点在する集落の景観が、そのまま目に飛び込んでくる。ああいう光景を見ると、我々とは全く違う価値観を持つ社会がちゃんと地球上にはあって、我々から学んで欲しくないことも多いなと感じさせられます。

ブータンは「幸福度」の高さでもよく話題になりますよね。

中島:ブータンは、GDPではなく「国民総幸福量(GNH)」を政策の根底に据えている国として知られています。首都のティンプーに行くと、広場の質が必ずしも高くなかったり、車の交通量が多くて歩きにくかったりと、「都市デザイン」としては粗い部分もあります。でも、不思議とそれが大きな問題として語られていない。道路や広場のデザインよりも、人の生き方や共同体のあり方の方が、はるかに重要なテーマとして扱われているのだと思います。観光も非常に厳しくコントロールしていて、訪問者の数をあえて絞り、その代わり一人あたりの滞在の質を高める方向に舵を切っています。そうした姿勢も含めて、正直、ユートピア的に見えました。

それは、まさに「生き方がまちに表れている」ということなんでしょうか?

中島:そうですね。逆に言えば、「環境が生き方を形づくる」とも言えます。我々が知っている都市の生き方とは、まったく別の選択肢が、今も現実に存在していることを強く実感しました。他に、先月は台北にも行きましたが、台湾の都市もとても良いですよね。結局のところ、どの都市にも良い面と問題点があり、一面的に「良い・悪い」と評価することは難しい。ただ、それぞれの都市に固有のストーリーや哲学があり、実際に生活をして、それを知ることで、その都市を「好きだ」と感じるようになるのだと思います。

地域に愛され続け、住民が主体的に関わるためには、
「時間」と「メリハリ」が必要。

「どの都市にも固有のストーリーがあって、それを知ると好きになる」ということですが、「ここはいいな」と惹かれる場所に共通する要素はあるのでしょうか?また、地元の人に長く愛される場所と、そうではなくなってしまう場所の違いについて、どうお考えでしょうか?

中島:自分が惹かれる場所を振り返ってみると、一つの共通点として「オーセンティックであること」、つまり、その場所ならではの「本物性」が感じられることが大きいと思います。それは多くの場合、歴史や文化に裏打ちされたものです。同時に、その「本物性」は放っておくと簡単に失われてしまうものでもあります。だからこそ、守ろうとする人たちの努力が必要になる。そうした努力を知れば知るほど、その場所がより良く見えてくる、好きになっていく、ということもあります。
 逆に、「嫌だな」と感じる場所もあります。例えば、どこか大雑把につくられていて、歩いていて疲れるような街です。誰も手入れをしていないような、ネグレクトされた空間が広がっていると、「この場所は誰にも大事にされていないのではないか」と感じてしまう。そういう意味で、物理的な環境としての整備だけでなく、「誰かがちゃんと面倒を見ているかどうか」も、その場所が愛されるかどうかを分ける重要なポイントだと思います。

善福寺公園のように、古くから住んでいる人が多いまちでは、環境がネグレクトされにくく、みんなが主体的に関わり、「守りたい」と思う気持ちが育ちやすいように感じます。一方で、新しく開発されたまちは、そうした当事者意識を醸成するのが難しい面もあると思います。新しい街でネグレクトされずに、住民が主体的に関われるようにするには、何か仕掛けや条件が必要なのでしょうか?

中島:これはとても難しいテーマですが、一つ重要なのは、「時間」と「メリハリ」だと思います。まず、時間の要素はやはり大きい。どんなまちでも、そこに長く住み続け、経験を積んでいくことで、徐々に愛着が生まれ、関わり方も変わっていきます。ただし、人口減少が進む地域では、「人がいなくなる」ことによって、物理的に手入れができなくなるエリアが生まれてしまう。そうした場所が完全にネグレクトされると、まち全体の印象や機能にも影響が出てきます。そのとき大事なのは、「全ての場所を均等に守る」のではなく、「どこを守るのか」を見極める、つまりメリハリをつけることだと思います。東京は人口密度がまだ高く、多様な人がいるので、新しく作られたまちでも、時間とともに主体的なプレーヤーが育ちやすい土壌があります。例えば、私が関わっている高島平という地域は1970年代にできた、ある意味では新しいまちです。でも、まちびらきから50年の間に、地元への愛着を持ち、まちの将来を一緒に考えようとする人たちがたくさん生み出されています。
 善福寺の話に戻ると、「まちの中心となる場所」があることも重要だと感じます。善福寺公園のように、地域の人が「ここは自分たちの場所だ」と思えるような中心があると、その周りにコミュニティが育ちやすい。中心が曖昧なまちは、どうしても“漠然としたまち”になってしまいがちです。その中心は、公園かもしれないし、駅かもしれないし、広場かもしれない。新しいまちであっても、そうした「中心」を丁寧につくり、そこに人が関わる余地を残しておくことが、ネグレクトされずに愛され続けるまちづくりにつながるのではないかと思います。

公園の一部として見落とされがちな池を
水辺の研究に位置付ける必要がある。

ここまでのお話を伺っていて、池という存在が、水辺のまちづくりの文脈であまり語られてこなかったことに、改めて気づかされたのですが、川や海に比べて、池が議論の対象になりにくいのは、何か理由があるのでしょうか?

中島:一つには、「池は公園とワンセットで捉えられている」という構造があると思います。川や海は、街路や建物と直接向き合うことが多く、「都市の構造」とダイレクトに結びついている。一方で池は、多くの場合、公園や庭園の中に位置づけられていて、何かワンクッション置かれているような存在です。庭園や公園の中の「苑池」は「ランドスケープの一部」「公園内の要素」として扱われ、都市構造やまちづくりの議論からは外れてしまいやすいのですが、溜め池文化が色濃く残る地域に行くと、その印象は少し変わります。まちの中に突然、大きな溜め池が現れて、道路のすぐ横がそのまま水面になっているような場所がある。例えば大阪では、松原市民図書館のように、溜め池の中に建物を建ててしまった例もあって、東京とはまったく違う「池とまちの関係」が見えてきます。
 池に関する研究は、実は驚くほど少ないんです。「東京の池」という一冊の本が1989年に出版されていて、これは私が学生の頃からずっと参照している貴重な本ですが、それ以外に、池そのものを本格的に論じた書籍はほとんどありません。庭園やランドスケープに関する本は多くても、「池」を主役に据えた都市やまちの議論は極めて少ない。だからこそ、一度「池文化」というものを、都市計画や水辺研究の観点からきちんと考えてみる必要があると感じています。大濠公園のある福岡や北京から友人を呼んで、不忍池をテーマにした研究会を企画したこともあったのですが、ちょうどコロナ禍と重なって実現しませんでした。機会があれば、もう一度取り組んでみたいテーマです。
 池は失われやすい水辺でもあります。かつて池だった場所が埋め立てられてしまったケースは東京にも多いですし、水の流れが乏しいために水質が悪化しやすいという問題もあります。それでも、池は人の生活に最も身近で、親しみやすい水辺の一つだと私は思っています。水辺の研究の中に、池も位置づけて欲しいと思います。

池や水盤を建築や都市デザインに取り込む
––––「蘇州博物館」、「東京国立博物館・法隆寺宝物館」

最近、再開発プロジェクトなどで、人工的な水盤や池が設けられているのをよく目にします。こうした「新しい池」について、どう思われますか?

中島:最近の例というより少し前になりますが、印象的だったのは、中国・蘇州の「蘇州博物館」です。イオ・ミン・ペイが設計した建物で、彼の晩年の代表作の一つとされているものです。
 蘇州博物館の中庭には、かなりしっかりした深さを持つ池がつくられていて、そこには鯉も泳いでいます。水面はきれいに保たれているのですが、単なる“鏡のような水盤”ではなく、「生きた池」として機能している。モダニズム建築のシャープな幾何学と、中国的な池の感覚が、とても良いバランスで共存している印象でした。
 谷口吉生が設計した上野の「東京国立博物館・法隆寺宝物館」にも、美しい水盤があります。こちらはごく薄い水面を、建築のマテリアルの一つのように扱っていて、「見るための水」として完璧にコントロールされている。一方、蘇州博物館の池には、もう少し物質としての“水の厚み”や、“そこに生き物がいること”が感じられる。どちらも素晴らしいのですが、水の扱い方の思想が少し違うと感じました。

イオ・ミン・ペイのような物質的・空間的な池や、谷口吉生の“鏡のような水盤”とは別に、子どもたちが「水と遊べる広場」というのもあります。こうした広場については、どのように考えておられますか?

中島:私は、夏の都市において「暑さ対策」は非常に重要なテーマだと思っています。その意味で、水が出る広場やミスト装置は、もっと積極的に導入されるべきだと考えています。ただし、ミストだけを出しても、直射日光の下ではすぐに蒸発してしまう。ですから、タープや樹木の陰と組み合わせて、日射をコントロールしながら使うなど、複合的なデザインが必要です。水を使った広場は世界各地にあります。かつては噴水だったものが、現在は子どもたちが自由に走り回れる「フラットな水広場」に改修されている例も多い。私が初めてそうしたタイプの広場を見たのは、10年以上前のコペンハーゲンだったと思います。地面から水が吹き出し、子どもたちが水遊びを楽しんでいました。
 もう一つ重要なのは、「雨庭」という発想です。これは、単に水遊びのための施設というより、雨水の流れをデザインし、土地の高低差や植栽を組み合わせて、雨の日には水がたまり、晴れの日には緑地として機能するようなオープンスペースのことです。集合住宅や団地が多い現代の都市では、外構を単なる“建物の付属物”として扱うのではなく、オープンスペースそのものに様々な機能を持たせる必要があります。その意味で、雨庭のデザインはこれからの都市にとって非常に重要なテーマだと思います。水と緑と人の活動を、どう一体的にデザインしていくか。池や川だけでなく、そうした“日常的な水の扱い方”も含めて、水辺の都市デザインを考えていく必要があると感じています。

池の「回遊性」や「中心性」を建築や開発に取り込む
––––「京都国際会館」、「金沢シーサイドタウン」

池が持つ「中心性」や「回遊性」というジオメトリーの特性はとても興味深いですが、新しいまちのデザインで水盤が置かれることはあっても、環境としての特性があまり意識されていないようにも感じます。

中島:自然の原理として「水は低いところに集まる」ので、地形と水の関係から生まれた結果として、池はまちの「中心」のような位置を占めることが多くなりますが、池の特徴は、やはり中心性と同時に「回遊性」だと思います。回遊式の日本庭園は、池の周りをぐるぐると周遊しながら風景を楽しむのが前提になっている。池の周囲を一周できるということは、「どこかへ向かうために歩く」のではなく、「ただ歩くこと自体を楽しむ」歩行体験を生み出します。川の場合は、基本的には“行って戻る”往復の動線になりますが、池は“円環的な動線”をつくりやすい。これは都市の中で人の行動に与える影響として、意外と大きいのではないかと思います。何か目的地に向かうのではなく、ただ池の周りをぐるぐると散歩する。どこで引き返すかを決めなくてもいい。そういう「意志から少し解放された歩行」の場として、池は独特の意味を持っているのではないでしょうか。もちろん、池の規模も重要です。あまりにも大きくなると、ぐるっと一周するのにかなりの時間と体力が必要になってしまう。都市生活の中で、ちょうど良い距離感で歩けるサイズの池が、回遊性という意味では一番面白いのかもしれません。

池と建築の関係で、「回遊性」をうまく取り入れている例はありますか?

中島:池全体の回遊性の話とは少しずれますが、大谷幸夫が設計した「京都国際会館」は、とても興味深い例です。京都・宝ヶ池のほとりに建てられたモダニズム建築で、池と建物が非常に近い距離で関係しています。
 国際会館の建物は、池に向かって張り出すような形をとっていて、一部は池の上にのしかかるように伸びています。その姿がとても不思議で、独特な空間をつくり出している。今の時代では、こうした大胆なデザインは実現しにくいかもしれません。京都国際会館は、日本庭園の回遊式のボキャブラリーを、モダニズム建築の中に翻訳している建築だと見ることもできます。国際会議場として、日本を象徴するものを世界に示す必要があった時代に、「伝統的な庭園をそのまま再現する」のではなく、「モダニズム建築と庭園の思想を重ね合わせる」という挑戦をしている。そうした意味でも、とても貴重な作品だと感じています。
 最近の水辺空間のデザインは、どうしても「気持ち良い空間を手早くつくる」という方向に流れがちですが、京都国際会館のように、「水辺とは何か」「庭園とは何か」「日本らしさとは何か」といった問いを、建築とランドスケープの両方から深く掘り下げている例は、改めて学び直す価値があると思います。

日本の中で、池が都市の「中心性」を持ち、シンボルとして機能している開発例はありますか?

中島:先ほどお話しした「金沢シーサイドタウン」は興味深い例ですね。中央に池(舟溜り)を配し、その周りを住宅が取り巻くような構成は、今では一部が改変されていますが、それでも依然として池が強いシンボル性を持っています。面白いのは、その池が映像や写真撮影のロケーションとしても頻繁に使われていることです。20年ほど前になりますが、“アジアン・カンフー・ジェネレーション”の『君という花』のプロモーションビデオの撮影地として使われていて、その映像を見ると、当時の空間構成がよく分かります。最近でも、アイドルグループのPVの舞台として使われるなど、「場所としての魅力」が広く認識されていることがうかがえます。まさに「池がまちの中心であり、象徴である」という構図が、はっきりと読み取れる空間です。
 このように見ていくと、「池」というのは、単なる水辺の一形態ではなく、都市の中心性や回遊性、人々の記憶や文化を結びつける重要なモチーフになり得る存在だということが、少しずつ見えてくるのではないでしょうか。

<参考>