第7回

Tenki Report: case.7

 日本海に向かって広がる平野で、夫と二人三脚で農園を経営する田中さん(仮名)。実家は隣県の農家だ。自分たちの農業に強いこだわりを持つ両親の背中を見て育つうちに、自らも農業を志すようになった。農家の跡取りである夫と結婚し、現在は夫の地元で自分たちが理想とする農業を追い求めている。

 田中さんの原風景は、自分たちの仕事に誇りを持って生き生きと働く両親の姿だ。両親から受け取った人生のバトンを、今度は次世代へと引き継ぐべく日々奮闘している。

休日は農作業を手伝うのが
当たり前の日常だった

 田中さんが生まれ育ったのは、山間の小さな集落だ。祖父の代までは百姓と養蚕で細々と生計を立てていたが、父の代になって、山間の狭小地といった環境に順応した農業へと転身した。

 田中さんは6人きょうだいの5番目。6歳上の姉を筆頭に、3人の兄と、3歳年下の弟がいる。両親と祖父母を合わせて10人家族という、今では珍しい大家族で育った。「男きょうだいに囲まれて、自分も男の子のように育った」と田中さん。

 また、父親が独身時代、農業研修でアメリカに派遣された縁で、実家では毎年、国内をはじめオランダや中国などいろんな国から農業研修生を受け入れていた。家の中にはつねに人がたくさんいて、とても賑やかだったという。

 小学校へは、途中に集落もないような山道を片道3キロ歩いて通った。中学になると片道5キロの道を自転車通学するようになり、高校ではその距離は10キロに伸びた。当時の生活はというと、朝6時には家を出て、自転車で10キロこいで、バスケ部の朝練に参加。夕方は、部活のあとに10キロ自転車をこいで帰ってくる毎日。

「今の子どもにはそんなことはさせられませんが、当時はそれが当たり前でした。基礎体力がかなり鍛えられたのではないかと思います」

 両親の代から始めた環境循環型の農業。田中さんは、新しい挑戦に試行錯誤する両親の姿をいつも近くで見てきた。

 農家には平日も休日もなく、休日になると子どもたちもお手伝いに駆り出された。お弁当を持って山へ行き、家族総出で農作業をする。これも幼い頃の田中さんには当たり前の日常だった。

 ところが、小学校高学年になると、他の家ではこれが「当たり前ではない」ことに気づくようになる。週末に親の仕事を手伝うこともなければ、家に海外からの農業研修生が住んでいるわけでもない。「自分が人と違う」ことを恥ずかしく思うようになり、「家が農家」と同級生に知られるのが嫌で、バレないように生きていた時期もあったという。

 ただ、いかにも楽しそうに、生き生きと働く両親を見て、「両親が農業という仕事に誇りを持っていることは、子どもながらに感じていた」と田中さん。田中さんの実家は「大家族の農家」としてマスコミに取り上げられることも多く、両親が農業に傾ける情熱は、インタビューを受ける両親の言葉からも子どもたちに伝わってきていた。

両親の農業に対する
プライドに触れ、
同じ道を志す

 思春期に抱いていた「家が農家」であることへの複雑な思い。それが変化したのは、高校3年のとき、若い頃の父親と同じようにアメリカで農業研修をしていた兄を訪ねて、父親と一緒にアメリカとカナダを旅行したことがきっかけだった。

 「世界はこんなにも広くて自由だ」。それを肌で感じると、日本では当たり前に身にまとっていた「みんなと一緒が安心」という価値観から解放されていく気がした。

 旅行から帰ってくると、「高校を卒業したらすぐにでも海外に行きたい」という気持ちが強くなっていった。しかし、海外の農業研修に参加するためには、専門科目の履修や農業実習体験などの参加条件を満たす必要があり、高卒というだけではエントリーできなかった。そこで田中さんは、「食に携わる勉強をしておけば人生で絶対に損はないよ」という両親のすすめもあり、まずは短大に進学して栄養学を学ぶことにした。

 実のところ、この頃の田中さんは海外に興味はあったものの、「将来は農業をしたい」と強く思っていたわけではなく、どちらかといえば飲食関係の仕事に就きたいと思っていたという。ところが、短大で栄養学を学ぶうちに、栄養学の視点から両親の農業を見つめ直すようになり、農業という仕事に魅了されていったのである。

「栄養学なので食事の栄養価計算や調理実習をするんですけど、栄養価計算をしていると、両親がこだわる栽培方法は、手間がかかり重労働でも、そのほうが環境にやさしく、美味しいからで、そこに両親のプライドや誇りを感じたんです」

 食の原点は生産の現場にある――。それに気づいた田中さんは、農業を志すようになった。

父と兄の背中を追い、
念願の海外農業研修へ

 短大を卒業するとすぐに海外農業研修に参加した。向かった先はスイスだ。

「本当は父や兄と同じようにアメリカに行きたかったのですが、アメリカでの農業研修は体力的にハードなので、女性は研修先に選べなかったんです」と田中さん。それで第一希望にハワイ、第二希望には、ヨーロッパのオランダ、デンマーク、ドイツ、スイスの中からなんとなくスイスを選んだら、スイスに決まった。

 スイスでは、家族経営の小規模農家がほとんどだという。田中さんが住み込みで研修した農家は、夫婦と4人の子どもの6人家族で、酪農とブロイラーの飼育を行う複合経営だった。

 父親と兄の背中を追いかけて、「バリバリ農業をするぞ」と意気込んでスイスにやってきた田中さん。ところが、スイスでは「男性は外で働き、女性は家を守る」という明確な役割分担があり、田中さんも1日のうち半日は農作業、半日は家事全般を任された。

「スイスでは家事(家政)も重要な仕事と位置づけられていて、スイス流の家事を一通り身につけることができたのはよかったのですが、本音を言えば、もっと農作業をやりたかったですね。『農家の嫁修行』のような生活だったので、多少の物足りなさを感じました」

 1年間の研修を終えて、21歳のときに帰国。一度海外に出たことで、「もっといろんな国を見て、もっと学びたい」という気持ちが強くなっていた。再び海外へ行くための資金を貯めようと、知り合いの酪農家に頼み、ヘルパーとして働かせてもらった。両親も、「自分がやりたいことをやればいい」という考え方だったので、田中さんの自由にさせてくれた。

 もう一度海外に行きたい――。

 しかし、その願いは叶わなかった。帰国の翌年、大病を患い、3カ月寝たきりに近い生活を送ることになったからだ。

「子どもの頃からたくさん歩いて、自転車にもたくさん乗って、体力には自信があったんですが。3カ月の入院生活で体力がすごく落ちて、退院後も半年間は力仕事ができない状態が続きました」

 人生で初めての大きな挫折。

 ただ、人生はどう転ぶかわからないもので、病気による療養期間中に今の夫との結婚話が進み、現在の生活につながっていくのである。

サラリーマンとは
絶対に結婚しない

 夫はアメリカで農業研修を受けた、研修生の同期。帰国後も互いに連絡を取り合いながら、日本の農業を盛り上げていく同志として刺激を与え合う間柄だったという。

 夫は、農家の跡取りだった。

 さかのぼれば、田中さんが高校生のときには、すでに「サラリーマンとは絶対に結婚しない」という予感があった。「相手がサラリーマンだと、相手の仕事がよく分からないし、相手が何時に帰ってくるかも分かりませんよね。そういうのは嫌だなと思ったんです」と田中さん。

 二人三脚で農業を営む両親を見て育ち、「協働で何かを築いていく関係」が理想の夫婦の形だと思うようになった。その理想の形が、現実になりつつあった。

 田中さんは24歳で結婚すると、夫の地元に移り住んだ。当時はまだ、自分たちでやりたい農業の形も漠然としていたので、夫が両親と一緒に経営する農業を手伝うところからスタートした。

 だからといって、「農家の嫁」のような扱いを受けたことは一度もない。夫の地元では親との同居が一般的にもかかわらず、最初から別居を希望した田中さんのことを、義理の両親は特に咎めることなく受け入れてくれた。

 また、自分たちの価値観を田中さん夫婦に押し付けることも一切なかった。その点では、実家の両親と似ていると感じた。

「自分たちと同じやり方で農業をやりなさい、などと言われたことはないですね。それはもしかすると、この地域が戦後に開拓された土地であり、農村としてのしがらみが少ない土地柄だからかもしれません。新しいことを始めるにも比較的自由にできる空気があって、私たちが従来のやり方を大胆に変えていくのを両親も見守ってくれていたと思います」

次世代につなげるために、
持続可能な農業への挑戦

 35歳のとき、田中さん夫婦は会社を設立した。現在、正社員10名、パート社員、海外からの実習生で、農作物を生産している。

 農作物の生産のほかに、田中さん夫婦がチャレンジしていることがある。それは、農地の有効活用により、豊かな大地を次世代につなげていく持続可能な農業の実践だ。一体、どういうことだろうか。

「今、日本では野菜は過剰に生産されていて、輸入野菜に負けて捨てられてしまう農作物がたくさんあるのが現状です。捨てられるのに一生懸命に作るのはバカバカしいし、価格崩壊の原因にもなっています。だったら農地を別の用途に使えないだろうか、と模索しているのが、バイオマス発電などによるエネルギーの自給です。例えば、エタノールを生み出すような作物を作ってエネルギーを自給できれば、農地を維持管理しながら、経営の安定にもつながります。それを私たちの世代でやりたいと思っています」

 こうした発想が生まれたのは、やはり両親の影響が大きいという。

「私の両親が環境循環型の農業にこだわったのも、自分たちの農業が環境を壊していたら意味がない、と考えたからでした。そんな両親を見て、私も『本末転倒なことはしたくない』と強く思いながら生きていたところがあります」

 また、20代で環境先進国・スイスで過ごした経験も、「環境負荷の少ない農業をしたい」という今の思いにつながっている。

 一方、アメリカで農業研修を受けた夫は、田中さんとは対照的に効率的な大規模農業を学んできているので、二人の意見が食い違うこともある。そんなときは、「一番の目的は農地の維持。そのためにできることを二人でやっていこう」とお互いに歩み寄るようにしていると話す。

「会社勤めをしておけばよかった」
と今になって後悔する理由

 田中さんは、これまで一度も就職したことがない。「就職したい」と思ったこともなかった。なぜなら、両親が楽しそうに農業にいそしむ姿を見て、「自分の時間は自分で設計するものだ」と思っていたからだ。会社に所属して決められた時間を決められたように働く生き方は、あまり想像できなかった。

 会社勤めの経験がないのは、夫も同じだ。

 会社を経営する今になって、「社会勉強として一度は就職すべきだった」と後悔が湧いてきているという。夫婦ともに「会社とはこういうものだ」という経験がないまま会社を経営していることに、若干の負い目を感じているというのだ。

「一番難しいと思うのは、雇用管理ですね。社員がどうすれば働きやすいのか、気持ちよく実力を発揮してもらうにはどうすればいいのか。自分たちが雇われたことがないので、よく分からないのです。今、何かトラブルが起きているわけではありませんが、課題があるとしたらそこかなと思っています」

仕事と家庭を分けずに
みんなで子育てする環境

 田中さん夫婦には現在、4人の子どもがいる。夫の両親とは別々に暮らし、しかも農業をしながらの子育てには苦労も多かったのではないだろうか。

「2人目までは、『なるべく自分たちで育てたい』という思いが強かったので、夫の両親には頼り過ぎないようにしていました。でも、3人目くらいになるとそうも言ってられなくなって、上の子たちをおばあちゃんちに預けたり、夫が上の子たちを仕事場に連れて行くことも増えました。夫の両親はもちろん、仕事場のスタッフの人たちみんなで面倒を見てくれる環境があったから、4人を育ててこられたかなと思います」

 仕事も家庭も区別せずに、その中で子どもを育てていく――。これも実家の両親が背中で見せてくれたやり方だった。

「私はそれ以外の生き方を知らないんです。そういうものだと思って生きてきたので、それが大変だとはあまり思っていないんですよね」

 自身の経験から、思春期の子どもが実家の農業を恥ずかしく思う気持ちも理解できる。だからこそ、子どもたちがそんな思いをしなくてもいいように、子どもたちに農業の魅力を伝えるだけでなく、農園に人を呼んでイベントを開くなどして、農業のイメージアップにつながる活動にも取り組んできた。その甲斐もあってか、子どもたちは農業に対して好意的だ。

「農園を訪れる人たちが『農業っていいね』と言ってくださって、それを子どもたちはずっと聞いているので、今のところは農家に生まれたことを誇りに思ってくれているようです」

次世代を担う
子どもたちへの思い

 上の子どもたちは、将来のことを少しずつ考え始めている。

 長女は、農業に興味があるわけではないが、海外留学には強い希望を持っている。田中さん夫婦は、若い頃に海外研修で広い世界に触れた経験から、子どもたちにも「一度は外に出たほうがいい」と言い続けてきたという。それが、大学進学を決める時期に差し掛かった長女の心に響いているようだ。

 県外の高校に通う長男は、「将来は農業をやりたい」と言い始めている。田中さんは、うれしい気持ちの反面、農業の現状は決して甘くはないという思いもあり、「そう簡単にはうちでは働かせないよ」とあえて厳しい言葉もかけているという。

 実家の両親がそうだったように、自分も子どもたちに対して自分の価値観を押し付けたくない。子どもたちには、自分の好きな道を進んでほしいと思っている。

 ただし、できることなら大学に進学してほしいし、いずれ農業の道を選ぶにしても、一度は就職して一般的な社会経験をしてほしい。親としてはそんな希望もある。

「私たち夫婦は、私は短大ですが、夫は高校を卒業して農業の専門学校に進みました。学歴がすべてとは思いませんが、やはりいろんな方とお付き合いさせていただく中で、大学進学の選択肢も含めて自分の将来をもう少し真面目に考えて生きてくればよかったな、と思うことはあります」

 そう言ったあとで、田中さんはこう続けた。

「これも、自分ができなかったことを子どもに託しているだけかもしれませんね。自分にないものを子どもが身につけてくれることで、自分たちの農業の発展にもつながると思っているので」

 子どもたちの住む未来の社会が、今より豊かになるために、親世代の自分たちに何ができるのか。田中さんは農業を通じて豊かな大地を次世代に継承するため、これからもチャレンジを続けていく。

インタビューを終えて

 田中さんと話すと農業の魅力に引き込まれる。一般企業の会社員は土地を意識することはほとんどなく、勤務先との距離・通勤時間を意識する程度である。企業は大都市集中という実態がある。その一方で農業は、全国各地、場所によって作物や農業のスタイルといったものが限定されることもあるが、自由もある。田中さんはそれを楽しく、そして挑戦的に話してくれる。
 農業は天候の影響などを強く受け、また、政策によって左右される受け身一方の生業という先入観を強く持っていた私は、インタビューを経て、その情報収集や知識の習得などの重要性、そして得た情報などを実践的に現実のものにする農業の姿に、先入観とは真逆の積極的に取り組むものという新たな認識を持つことが出来た。田中さんご夫妻は、ともに海外での農業を経験されていて、生きた情報の収集とともに実務における体験もされている。勿論、海外も含む情報の収集は比較的容易かもしれないが、新たな価値を農地を通じて実現させるということは、恐らく並大抵のことではない。
 産業別就業者数(総務省統計局「労働力調査」)において、1951年に1,668万人であった第一次産業就労者は2021年には208万人にまで減少している。全就労者に占める割合では、46.1%から3.1%への減少である。経済の外部性という視点のみならず、地方創生や環境問題の改善という課題との関係で農業を位置付けることは可能であり、田中さんの農業を見つめる視線の先には間違いなく、これらが含まれている。第一次産業の創造性・将来性を感じるとともに、楽しい生き方が伝わってきたインタビューであった。