第2回

Tenki Report: case.2

 鈴木さん(仮名)は現在、2つの会社を経営する30歳の起業家。最初に仲間と会社を立ち上げたのは学生時代で、それ以来、今も経営する2社を含めて4社の創業に携わってきた。

 ビジネスとして成功した会社もあれば、うまくいかずに経営から身を引いた会社もある。ビジネスを通していろんな人との出会いもあり、人とのつながりから始まったビジネスもあった。

 起業家としての20代を全力で駆け抜けてきて、今、思うことがあるそうだ。「お金のために働くよりも、小さな会社でもいいから好きな仲間と仕事をしたい」。鈴木さんのこれまでの軌跡をインタビューした。

友達との“経済格差”が身にしみた私立中学時代

 鈴木さんは、大手メーカー勤務の父親と専業主婦の母親、兄、弟、妹の6人家族。教育熱心で堅実な両親に育てられ、公立小学校から中高一貫の私立中学に進んだ。中学で新しくできた友達は「お金持ち」の子どもが多く、彼らとの“経済格差”を見せつけられた鈴木さんは、次第にある思いを募らせていくことになる。

「うちはお金がない家ではなかったんですが、お金に厳しい節約の家だったので、周りと比べると直感的に一番貧乏でした。洋服はいつもお兄ちゃんの友達のお下がりだったし、携帯を持ったのもクラスで最後から2番目。自営業の家に生まれたわけでもないのに、『お金を稼ぎたい』と思うようになったのは、もしかしたらこのときの感覚が影響しているのかもしれません」

 電車通学のため、帰りに遊んでも親にバレないのをいいことに、鈴木さんはゲームセンターに毎日のように通って“稼ぐ”ようになる。

「パチプロ感覚でメダルゲームにはまって、大量のメダルを持っていたんです。それを友達に売って小遣い稼ぎをしていました。当時、自分のお小遣いが2,000~3,000円だったと思いますが、月5,000円くらいは稼いでいましたね」

 それが学校にバレて、親が学校に呼び出される。当然、親から叱られる。そんなことが5~6回続いた。「他の親は子どもがゲームセンターに行っても叱らないのに、なんでうちの親は止めさせようとするのか」。一番楽しい時間だったゲームセンター通いを邪魔しようとする両親が疎ましく、「親元を離れたい」と思うようになった。

 そんな生活が変化したのは、中学2年の夏休みのこと。親の言いつけで塾に通い、猛勉強を始めた。すると、それまで学年で80人中40位くらいだった成績が、学年トップに躍り出たのだ。

 親の教育方針として「国立大学に行かなければ一人暮らしはさせない」と言われ続けていたが、大学まで待たずに親元から離れたい一心で、寮生活ができる地元の高専に進学。「数学が得意だから理系に進もう」と気楽な気持ちでロボット系の学科を選んだ。

地元でくすぶる自分は
「めちゃめちゃ遅れている」

 ところが、家を出るための口実となった寮生活は、想像以上に規律に厳しかった。

「僕らの時代は部屋の掃除のチェックが厳しくて、綿棒で汚れが残っていないか調べるんです。そして、綿棒の頭が両方とも黒くなったらアウト。まるで軍隊のような寮生活の中で、いかに自分が寮の役員になって仕切る側に回るか、そればかり考えていました」

 そんな鈴木さんが起業を意識したのは、高専在学中の4~5年(大学1~2年に相当)の頃だ。東京の大学に進学した中学時代の同級生が、当時流行っていた起業サークルに所属していた。「企業から協賛金を集めてイベントを開いた」などと話すのを聞いて、強い焦りを覚えたという。

「東京の大学に進学した友人はすごく進んでいるのに、自分は片田舎にある高専で、寮という狭い世界の中でくすぶっている。自分はめちゃめちゃ出遅れているし、このままでは差をつけられたまま人生が終わってしまう、と思ったんです。」

 それ以降、鈴木さんは、もっと広い世界を知るために、積極的に学外のボランティア活動に取り組むようになる。子ども向けに開いた理科教室、ビジネスコンテストへの参加、地域でのイベント開催……。鈴木さんがやりたいことは、「地域のためになるなら」と大人たちが全面的に支援してくれた。

 中でも印象に残っているのは、高専最後の年に発生した東日本大震災で、被災地ボランティアに参加したことだ。

「地元のイベントで知り合ったNPO団体の人に、『震災ボランティアに行きたい』と相談したら、『バスをチャーターするから学生を集めてよ』と言われて、その方の支援を受けて難なく実現してしまったんです。このとき学んだのは、『やろうと思えば何だってできる』ということ。後の起業につながる貴重な体験だったと思います」

起業に踏み切らせた
ある同級生との出会い

 鈴木さんは高専を卒業すると、国立大学の3年生に編入した。大学に入ると、高専時代のようなボランティア活動ではなく、「お金を生み出せるような活動がしたい」と思うようになる。とはいえ、起業に向けて一直線、とはいかなかったようだ。「起業はしたい。でも、怖くてできない。自分はそんなタイプでした」と鈴木さんは当時の自分自身を振り返る。

 壁を乗り越えるきっかけになったのは、ある同級生との出会いだった。起業に躊躇する鈴木さんを尻目に、その同級生はすぐにでも起業する勢いだった。「彼に負けないためには、自分も起業するしかない。でも、一人で起業するのはやっぱり不安……」。鈴木さんの心はかき乱された。

 悩んだ末、鈴木さんはその同級生に「一緒に起業しよう」と声をかけた。これが人生最初の起業である。

 このときの会社をA社としよう。A社の創業メンバーは、鈴木さんを含めた5人の学生たち。まずは月50万円の売上目標を立てた。

「当時の家賃が2~3万円だったので、1人10万円あればなんとか生きていける計算でした。5人なら、月50万円の売上があれば会社を永続的に続けられます。月50万円を稼げる事業を作ろうということで、ホームページ受託事業を始めました」

学生との二足のわらじで
奮闘するも……

 「現役大学生」をウリに飛び込み営業したものの、売上は全く上がらなかった。そこで前出の同級生が思いついたのが、学生に特化したポータルサイトの企画だった。パワーポイントの営業資料を作成して営業したところ、受注に成功。ポータルサイトは無事に軌道に乗り、月50万円の売上目標も達成した。しかし、これは1年後に売却されることになった。

 起業2年目の大学4年生のとき、メイン事業となるアプリビジネスが立ち上がった。鈴木さんは、最初は卒業したら就職しようと考えていたが、事業の管理責任者として本気で向き合ううちに仕事が楽しくなり、就職活動を止めて事業に専念することにした。

 とはいえ、事業が必ず成功するとは限らない。「人生にはリスクヘッジも必要だろう」と考えて、大学院に進学し、休学して席だけ置いておくことにした。

「あのときは寝る間も惜しんで仕事をしました。仕事は面白くて好きだったのですが、毎月2,000万円の赤字を出していた事業を任されていたので、株主から『学生気分でやってるんじゃないか』と厳しく追及されて、精神的にはとてもきつかったです」

 結局、事業の立て直しはうまくいかず、鈴木さんは創業メンバーと経営方針で意見が食い違い、その会社を辞めることになった。

一旦就職。その後、立て続けに「誰かのために起業」

 「事業責任者として頑張りすぎたから、普通の仕事でもして、一回心を休めよう」。大学院はすでに退学していたので、ひとまず有名ベンチャー企業に就職することにした。とはいえ、サラリーマン生活にはいずれ飽きるだろうと予感していたので、先に自分の会社を作っておくことにした。24歳のときのことだ。

「一度起業しているので、この頃は起業に対する怖さは薄れていました。僕が不安だったのは、事業が失敗して収入が途切れることだったんです。それについては、就職によって安定した収入が担保されるので安心でした。会社から副業をとがめられると厄介なので、自分が経営する会社からは給料をもらわずに、やりたいことをやる砂場として自分の会社を使うことにしました」

 これが2社目の起業(B社)。資本金10万円で始め、2年後には黒字化を達成した。事業が安定した段階でサラリーマンを辞めて、自分の会社に集中することに。この会社は現在も続いている。

 27歳のとき、B社で世話になった友人から「会社を作りたいから手伝ってほしい」と頼まれ、共同創業者としてECビジネスの会社(C社)を設立した。あまり気乗りしなかったが、「友人へのお礼の気持ちで始めた」という。ビジネスは成功し、稼ぎもあったが、「やりたい仕事ではなかったのでつらかったですね」と鈴木さん。この経験があってから、「お金のためだけに仕事はしたくない」と思うようになったという。この会社からは2年ほどで身を引いた。

 28歳のとき、C社の経営をやりながら、Webマーケティング会社のD社を設立した。このときも、人とのつながりが創業の理由だ。外注先の担当者が会社を辞めることになり、「この人とだったら一緒に仕事ができる」と思った鈴木さんが、その人のために会社を作ったのだ。彼には社長になってもらい、鈴木さんは代表取締役会長に就いた。

会社の規模追求より、
「好きな仲間と
楽しく仕事がしたい」

 鈴木さんにとってD社は、「好きな人を集めて作った初めての会社」だ。その背景には、過去の起業経験から学んだ教訓があったという。

「これまでの会社は、スキルベースで人を集めたので優秀な人が揃っていましたが、事業はうまくいきませんでした。そこから学んだのは、会社にとって大事なことは、人柄や相性だということ。つまり、お互いの哲学がフィットしているとか、好きな相手だから多少のことは許せるとか、そういう感覚が必要なんだろうと思いました。D社はその方向に振り切っています」

 好きな仲間ばかりだから、ビジネスが失敗して彼らを路頭に迷わすようなことは絶対にしたくない。また、優秀な人ばかりではないからこそ、誰でも成果を出せるような仕組みを作って、しっかり利益を出していきたい。それが経営者である自分の仕事だと鈴木さんは考えている。

 鈴木さんが学生時代に創業に関わったものの、メンバーとの意見の相違で経営から離れたA社は、現在、上場を目指すほどに成長しているという。それを聞くと悔しい思いも湧いてくるが、鈴木さん自身は会社の規模よりも大切にしたいものがある。

「D社は大きくしないと決めているんです。基本的には5人以上は増やさない。好きな5人で楽しく仕事ができる会社にしたいと思っています。5人だったら、1人あたり500万円の給料を払っても2500万円なので、それくらいは稼げる自信が僕にはあります。現に今は黒字化できているので、いい感じです」

お金のために働かなくても
いい状態で仕事を選びたい

 いずれは「エンジェル投資家になりたい」と語る鈴木さん。「投資家として目利きをしたいわけではなく、自分が『好きだな』と思える人を助けたいし、応援したいんです」。すでに高専時代の友人の起業資金を投資した実績があり、鈴木さんの投資を受けて起業した友人の会社は、今、利益を出すまでになっているという。

 将来の理想の働き方は、ある程度の収入が恒常的に入る仕組みを作り、お金のためにあくせく働かなくてもいい状態を作ることだ。

「手元に2億円くらい貯まったら、FIRE(経済的自立と早期リタイア)もいいですね。お金を稼がなくてもよくなったら、お金をもらわずに仕事をすることもできます。『この人と仕事がしたいから、お金がなくても仕事する』。その結果、うまくいってお金が儲かる形が理想ですね」

1年間の“テストマーケティング”
を経て、結婚

 プライベートでは、30歳になった今年、結婚した。3年前の飲み会で知り合い、同じIT業界で働く者同士、意気投合して付き合い始めたという。いずれ結婚するつもりでいたが、彼女からの結婚へのプレッシャーを感じた鈴木さんは、半年間の同棲を提案した。

「いきなり結婚するのはリスクが高いと思ったので、いわゆる“テストマーケティング”の感覚ですね。半年間の状況を見て、大丈夫なら結婚するし、そうでなければ別れようと。彼女には素直にそう伝えました」

 うまくいかなかった場合に彼女が元の場所に戻れるように、彼女の自宅はそのままにして、鈴木さんが彼女と一緒に住める広さの部屋に引っ越した。1年ほど様子を見て、「大丈夫そうだ」と思えたので、結婚を決めたという。

 子どもは欲しい。それは「子どもが好き」とか「家族を作りたい」というよりも、「先祖代々続いてきた系譜を途絶えさせたくない、つなげておきたいのかもしれない」と鈴木さんは話す。そして、こう続けた。

「子どもに対して適切なお父さんとお母さんでありたいですね。子どもにお金を残したいとはあまり思いませんが、自分で生きていけるような力はつけてあげたい。何かを経験したり勉強したりするためなら、超絶お金を使ってあげたいなと思います」

 ただ、奥様は子育てを手伝ってくれるタイミングを見計らっているようです。

「僕は仕事ばかりで、絶対に子育てしないと思っているようなんです。今のような働き方を一生するつもりはないよ、と言ってるんですけどね。子どもが生まれたら、僕だって子育てしますよ。週4で子育てして、週3で働くみたいなこともあるかもしれないです」

 「お金を稼ぎたい」を原動力に4社を起業した鈴木さんは、お金のために働くのではなく、大切な家族や仲間と人生を楽しむために働く生活に大きくシフトしようとしている。

インタビューを終えて

 鈴木さんとの出会いは、10年ぐらい前である。彼は学生の起業家のメンバーの一人であったが、実に魅力的な人たちの集まりであった。何が魅力的かというと、真剣に仕事に取り組む姿勢であった。一心不乱に仕事に向かっていたと思う。お金持ちになろうといった気持ちは全く感じられず、目の前の仕事を成功させたいという気迫のようなものが伝わってきた。20代前半の人から、このような熱量を感じるということに驚きを覚え、それが心地よかった気がする。
 約10年を経て、鈴木さんからは変わらぬ仕事への情熱は感じられるが、それとともに幸せな時間を求めているという感じが伝わってくるようになった。恐らく、彼女が出来て、「結婚までの間にテストマーケティングをした」という彼らしい発言の意味は、テストマーケティングする自分よりもテストマーケティングされる自分の方を重視していて、幸せな時間は両者が分かち合うものと考えているのだろう。
 鈴木さんの周りには優秀な人が集まってきていることは予想に難くないが、ビジネス的成功よりも「好きな人と仕事をしたい」という気持ちを優先させるのも彼らしい。お金は幸せな生活の為にはある程度は必要である。ただ、必要以上にお金の為に働かされる自分に気づくと、何の為に働いているのかが分からなくなる。
 鈴木さんは、二十歳前にボランティア活動などを経験されている。この経験について、彼の口からは、やれば出来るといった起業への自信といった言葉が発せられているが、同時に良い活動に対する周囲からの支援という言葉もあり、恐らくその際に彼の達成感や幸せというものの本質は形作られていたのではないだろうか。20代の頃の起業や企業で働く経験を経て、幸せな時間の価値を見つめるという考え方が芽吹いてきたのだと私なりに思っている。