第1回

Tenki Report: case.1

 佐藤さん(仮名)は、都内の専門学校を卒業後、北陸の高級旅館で働き始めたばかりの21歳。生まれ育った関東の地を離れ、縁もゆかりもない土地で生活している。

 親元から遠く離れて暮らすことに不安がなかったわけではないが、「楽しく働ける場所を探してたどり着いたのがここ。知らない土地で働くのも経験の一つ」と前向きに捉えている。

 佐藤さんが人生の選択で大切にしているのは、「自分が楽しいと思えるかどうか」。自分の気持ちに正直に向き合ってきたこれまでの選択の軌跡と、これからの人生に思い描く将来像を伺った。

幼い頃の家族旅行が夢の原体験

 佐藤さんは、2020年春に地元の高校を卒業すると、宿泊業界で働くことを目指し、東京都内にある観光サービス分野の専門学校に進学した。今につながる最初の転機である。

 宿泊業界への憧れは、子どもの頃の家族旅行にその原体験があった。

 佐藤さんの家族は、会社員の父親と、パートで働く母親、1歳下の弟の4人家族。佐藤さんが小学校の頃から家族でよく旅行に出かけていたが、今でも思い出すのは、宿泊した旅館で家族をもてなしてくれた「やさしい仲居さん」のことだ。

「行くたびに、小さかった私と弟のためにおもちゃを用意してくれていました。子ども心にうれしかったですし、そういう気遣いが両親から見ても好印象だったと思います。その方に会いに行くために旅行することもあったくらいです」

 高校生の頃にはもう、自分の中で進路は決まっていた。まだコロナ禍に見舞われる前で、目前に東京オリンピックの開催が迫っていた。「東京オリンピックをきっかけに観光業界はきっと盛り上がるはず、という期待があり、外国の方ともたくさん出会えそうなホテルでのお仕事に魅力を感じていました」と佐藤さんは語る。

「ホテルマンになりたい」と
専門学校へ進学

 大学進学の選択肢もあったが、スペシャリストの道に進むことに迷いはなかったという。

「ホテルマンになりたいという自分の意志は強く、途中で変わることはないだろうと思ったんです。専門学校は、業界とのつながりが強く、企業実習や実務家を講師に迎えた授業に魅力を感じました。卒業後は即戦力として働けるのもいいなと思いました」
 高校でのガイダンス(説明会)で知った専門学校に進学することを、直感で決めた。「担当者の方がその学校の魅力を熱く語っていて、『私もここに通いたい』と思ったんです」と佐藤さん。両親に話すと、「やりたいことをやったらいいよ」といつものように応援してくれた。

 夢に向けて一歩を踏み出した佐藤さんだったが、入学してすぐ、予想もしなかった壁にぶつかることになる。新型コロナ感染症の流行である。企業実習は軒並み中止となり、授業はオンライン中心となった。「専門学校の2年間は中身がないというか、自分が思い描いていたのと全然違う学校生活になってしまいました」と佐藤さんは振り返る。

 コロナ禍では観光業界も大打撃を受けた。佐藤さんは、実家から通える東京のホテルへの就職を希望していたが、求人が少ないうえに、求人があったとしても採用人数はごくわずか。3社受けたものの、すべて不採用だった。講師からの勧めで、ホテルにこだわらずに関東地方の旅館にも対象を広げてみたが、なかなかピンとくるところが見つからない。

 ついに地域へのこだわりを捨てて、全国で探していたとき、たまたま求人サイトで見つけたのが遥か日本海に面する北陸の高級旅館だった。

自分のこだわりに
忠実に選んだ結果……

「この旅館を最後にして、ここがダメだったら他の道も考えよう」

 佐藤さんはこう覚悟を決めて臨んだという。その覚悟の裏にはこんな思いがあった。

「たくさん受ければどこかに引っかかる、という考え方もあるかもしれませんが、私には何社も掛け持ちすることができないんです。毎回、1社ずつしか受けられません。一つひとつの会社に向ける気持ちが強いので、一社一社、『ここしかない』という思いで受けてきました」

 面接を受ける会社には、必ず一度は足を運んだ。実際にそこで働く人と話したり、自分で宿泊したりして、その会社で働く自分をイメージしてみたうえで、「ここで働きたい」と思った会社に的を絞ってきた。

 会社を選ぶ際にも、佐藤さんならではの強いこだわりがあった。

「一番大事にしたのが、自分が楽しく働ける職場であること。そのためには、アットホームな雰囲気がすごく大事だと思っています。旅館としておもてなしも大事ですが、社員のことも大事にする会社が私にとっては一番。社員に温かい会社のほうが、楽しみながら長く働き続けられると思ったからです。会社の規模や給料ですか? そういう条件はあまり考えてなかったかもしれません」

 ようやく見つけた旅館は、自分が働く場所として「しっくりくる」ところがあったという。現地での面接を前に初めて両親に話すと、北陸の地という場所に最初は驚いていた両親だが、「いいところが見つかったなら受けてくれば」と背中を後押ししてくれた。

結婚までは自分のやりたいことを
やりたい

 人生で初めて北陸の地を訪れたのが、この面接だった。佐藤さんは、「自分が生まれ育った場所と全然違うので驚きました。自然がすごく豊かなんですけど、電車が30分に1本しかなくて。すごく田舎、って言ったらあれですけど(笑)」とその時の印象を話す。

 親元を遠く離れた土地での一人暮らしに不安がなかったわけではない。しかし、見知らぬ土地で働くことも、そこで新しく仕事仲間や友達を作るのも、若い年齢で独身の今だからできる経験だと思うと、ワクワクする気持ちが大きかったという。

「結婚前の比較的自由なうちに、やりたいことは何でもやろうと思いました」と佐藤さん。旅館での採用が決まり、接客担当、仲居として社会人生活をスタートさせた。

 最初のうちは、慣れない旅館の仕事に落ち込むこともあった。高級旅館の宿泊客に対して、「こんな新人の自分が付いていいのだろうか」と不安になることも多かった。そのたびに年齢の近い先輩に相談したり、家族に話を聞いてもらうなどして支えてもらった。アットホームな職場なので、働きやすいと感じている。

「今は仕事が本当に楽しいんです」と佐藤さん。「私も先輩方のように、常連のお客様に認められて、何度も足を運んでいただけるおもてなしやサービスができるようになりたい。それが今の目標です」

 新たな土地での生活は始まったばかりで、将来のことはわからないが、かといって、ずっとこのまま同じ土地で働くイメージは持っていないという。北陸地方に来たのは、「働きたい職場がこの土地にあったから」。いずれ、この職場での経験を活かしてステップアップし、別のホテルや旅館で実力を発揮してみたいという気持ちもある。そうなればまた新たな土地に移り住むことにもなるだろう。

 ただし、どのような選択をするにせよ、自分のやりたいことをやるのは独身の間だけと決めている。佐藤さんにとって、次の大きな転機は「結婚」のタイミングだ。佐藤さんは、「結婚で私の環境は大きく変わると思っています」とそれほど遠くない将来を見据えている。

両親がロールモデル

 佐藤さんには、現在お付き合いをしている人がいる。専門学校時代の同級生で、九州のホテルで働いている。実は、彼の存在も佐藤さんの就職活動に影響を与えたようだ。

「私が就職先を全国に広げて探し始めたのも、彼が九州で働くことが決まったからです。どうせ遠距離になるなら、私も全然知らない土地で働いてみようかなと思ったんです」

 佐藤さんは、いずれ彼と結婚して家庭を持つときには、仕事を辞めて専業主婦になるつもりだという。

「結婚の影響って、すごく大きいと思っています。家庭を持てば、自分のことや仕事のことよりも、まず家庭のことを大事にしたい。ですから、結婚したら、彼に付いていこうと思っています」

 そう思うようになったのは、両親の影響が大きいと佐藤さんは話す。

「私の母は、私が生まれてから中学を卒業するまでずっと専業主婦でした。両親はとにかく仲が良くて、ほとんど喧嘩しないんです。子どもの私に対しても、やりたいことをずっと応援してくれていました。そういう両親のもとで育って私はとても幸せだったので、私も結婚したらそういう夫婦になりたい。子どもが生まれたら専業主婦になって、子どもとの時間を大切にするようなお母さんになりたいと思っています」

 世の中は仕事と家庭の両立を目指す方向に動いており、結婚しても働き続けたいと考える若い人も多いと考えられる。これについては、佐藤さんはどのように感じているのだろうか。

「そういう生き方を否定はしません。結婚よりも優先順位が高くて、夢中になれることがあるなら、それを応援したいと思います。ただ、私とは価値観が違うんだな、という理解です。私は自分が子どもとして感じた幸せを、自分の子どもにも感じてもらいたい。そういう家庭を築くことが、私にとっての幸せなんだろうなと思います」

 佐藤さんの母親が結婚したのは26歳のとき。その年まであと5年。「それまでは目一杯、自分のやりたいことをやりたいですね」

 佐藤さんは、「何事も楽しみながらやりたい」という気持ちに正直に、これからも自分が望む道を選んでいくのだろう。

インタビューを終えて

 21歳の若者のインタビュー取材は、彼女の職場である旅館にて行われた。着物姿の彼女は、凛とした雰囲気と愛嬌と優しさが伝わってくる人という印象であった。話し方も落ち着いていて、本当に21歳なのか、という感じがした。既に職場の同僚や先輩、そしてお客様との会話において磨かれているのであろう。
 お会いする前までは、20歳で親元を離れて見知らぬ地での単身生活という状況に、さぞや厳しい人生の転機といったものがあるのかと勝手に思いを巡らせていた。しかし、彼女の口からは、幸せな家庭で育った自己を振り返り、そして家族への感謝の思いが繰り返された。
 「両親のような家庭を築きたい」という言葉を、2022年の今、果たしてどれだけの人が口にするだろうか、また実践するだろうか。「両親のようにはなりたくない」という言葉のみならず、「両親のようにはなれない」という言葉も昨今、耳にすることが増えている。
 また、転機ということで考えると、彼女の就職は、2007年1月に施行された観光立国推進基本法、外国人観光客の増加(「爆買い」は2015年の流行語大賞)、そして2020年に開催が予定されていた東京オリンピック・パラリンピック、つまり日本の成長分野に自己の活躍の舞台を求めた真っすぐな若者の姿が感じられた。新型コロナ感染症の流行がなければ、彼女の現在地は違うものになっていたかもしれないが、その志をより強く貫いている姿が容易に想像できる。
 彼女の生き方の模索には迷いがない。目の前の事実や体験を尊び、真っすぐに生きている。何よりも両親の姿を追いかけ、そして日々の仕事に熱心に取り組み、楽しんでいる。