2025年6月9日、埼玉県蕨市の蕨駅近くの繁華街の雑居ビルの地下一階にライブハウス「ROUTE69 (以下ルート69)」が開業した。アメリカの西部へと向かう街道、サブカルチャーのアイコンとしても有名なROUTE 66にロックと若干、卑猥な連想をさせる数字69を掛け合わせた店名のこのお店は、この同じ場所に2025年3月まで営業してきたライブハウス「ピンク・キャデラック」が経営業態を多少、変更して再開したものである。
ルート69はライブハウスであるが、その前身であるピンク・キャデラック、さらにピンク・キャデラックの前身であり2001年に開業したハニーフラッシュは、アマチュアが楽器を持ち寄り、その場限りの即席バンドで音楽を楽しむ「セッション」と呼ばれるイベントをおそらく最初に開始したお店であると推察される。それまでもジャズ・セッションのお店はあったし、お店の人がバックで演奏してカラオケで歌だけでなく楽器を演奏するようなサービスを提供するお店はあったが、客だけで各パートを担当して、事前にしっかりとコピーをして仕込み、ロック音楽を演奏するというスタイルを広く知らしめたという点では、ハニーフラッシュが初めてであるかと思われる。少なくともキング・クリムゾンやイエスといった超難解な曲を一発合わせでセッションするという店はそれを始めた当時、日本だけでなく、おそらく世界でみても相当、珍しい店であったと推察される(これを執筆時点の2025年でも未だ相当、珍しいとは思われる)。
この「ルート69」の閉店からの再開は、そこのお客であった素人ミュージシャン(一部、プロのミュージシャンもいる)が、その閉店を惜しみ、新たに営業をするために株式会社を設立したことで可能となった。市場経済というロジックでは、なかなか持続経営が厳しかった状況を顧客自らが投資をすることで克服した。それは、最近、巷で流行のソーシャル・イノベーション的な試みであり、また三浦展が指摘する「第四の消費」的事例ではないかと考えられるので、その経緯をここに整理してみたい。
ルート69でボスと親しみを込めて呼ばれ、お客から慕われている斉藤元一郎は、高校生の時からミュージシャンとして仕事をしていた。バンドにも属していたが、スタジオ・ミュージシャンになろうと考えて、夜はアルバイトでお酒を出すお店で働いていた。当時は、アイドル歌手がたくさんいたこともあって、仕事にも困らなかった。しかし、アイドル人気が下火になり、おニャン子クラブも解散して仕事が少なくなって、これは不味いなと思い、27歳ぐらいの時にミュージシャン稼業から足を洗い、自分の店を出そうと考える。それまでは「こうしたい」という気持ちがあっても、どうやって実現させるかが分からなくもやもやとしていたが、たまたま行った自己啓発セミナーで物事をするには順序が必要だ、ということを理解し、お店の開業に邁進する。
それで夜の仕事を極めようと、風俗を含めていろいろなお店で働いた。そして、一通りやって、それらのいい部分を自分の中で吸収して、2001年の35歳の時に最初のオーナー店を蕨の駅から外れた場末に出す。それがその後、ロック・セッション・バーとなるハニーフラッシュであった。最初はスパゲッティ屋として開業したのだがワンオペでやっていたら飲み逃げされ、一人でやるのは難しいと考えた。しかし、人を雇うお金はなく、これは乾き物だけ提供するようなバーしかないかな、と考えた。加えて、駅から遠いし、テーブルも追っ払ってバンド演奏できるように改装した。自分も一度は置いた楽器を再び持ちだしたが、さすがにバンドのメンバーに再び声をかけるのは難しい。そこでセッションをやることにした。ただ、当時、巷でやっているようなスリーコードを回すようなセッションをボスは嫌いであった。そもそも、素人がセッションをするとアドリブなので終われなくなる。そこで、レコードをそのままコピーして演奏する!と言うルールをつくった。一方、しっかりとコピーをするのには時間がかかる。そこで、予めネットの掲示板を使って、当日に演奏する曲を表明し、それに便乗してもらう人をパートごとに募った。このシステムはボスと周辺の客とで考えたのだが、おそらく日本初(もしかしたら世界初)の試みであると考察される。少なくとも、ボス達は一からこのシステムをオリジナルで考えた。ただ、そのルールが定着するまではいろいろと試行錯誤があり、意見も割れたが、最終的に店のルールに従うという雰囲気が醸成されていった。
ハニーフラッシュは自転車操業で、経営的には厳しかった。ただ、入っていた建物が取り壊しになり、立ち退くことになって、家賃が半年間無料で、最後ということでお客が多く来てくれたので引越代がつくれた。そして、蕨駅前の現在ルート69の店舗がある場所に越してきて、ピンク・キャデラックという店を2016年に開業した。
家賃は倍以上になったが、経営的には順調であった。しかし、コロナによって大きく状況が変わる。そもそも、人が集まることが禁止されたらセッションどころではない。一寸先は闇のような状況であったそうだ。コロナが終焉して、セッションは再開したが、それ以外の平日のお客さんは戻ってこなかった。そういうことや、常連のお客さん達が亡くなっていくのが精神的にきつかった。加えて、セッションのシステムが模倣されるようになり競合店も増えていった。特にコロナで潰れた、似たようなタイプのお店を、新たに買い取って勢いづいている店舗とかを知ると、こちらはまだコロナ・ショックから立ち直れていないのに勝てる訳がないな、と思った。それで店は畳もうと考えたのである。
しかし、いざ閉店を決めて閉店イベントをしている時、常連客の米谷達也(ジャンキー)氏が、株式会社を設立しようと提案してきた。常連客の知恵を出し合って、ボスにだけ経営の負担を負わせるのではなく、皆で負うようにしよう、と提案したのである。
そして、米谷氏が株式会社設立書をつくり、「このお店をなくしてはならない」という掛け声のもとにその出資者を募ったところ、目標の出資額に到達した。そして、閉店してから4ヶ月も経たないうちに店名は変わったが、「ロック音楽のセッションの聖地」と言われたピンク・キャデラックは再開したのである。
再開を機にステージも改装され、看板も新たにつくり変えられたりしたが、それらはほとんど常連客によって制作されたり、設置されたりした。まさに顧客によって老舗の看板が守られた事例であり、お店は単にサービスを提供してもらうだけでなく、コミュニティをつくり、そのハブとなるような社会的存在であることを我々に知らしめる事例であると考えられる。
356 ルート69(元ピンク・キャデラック)(埼玉県)
2025年6月7日、埼玉県蕨市の蕨駅近くにライブハウス「ROUTE69」が開業した。同店は「ピンク・キャデラック」や「ハニーフラッシュ」の系譜を継ぎ、日本でも稀有な“客同士によるロック・セッション”文化を広めた店である。今回の再開は、閉店を惜しんだ常連ミュージシャンらが株式会社を設立し、自ら出資して実現した。まさに顧客によって老舗の看板が守られた事例である。
ルート69(元ピンク・キャデラック)の基本情報
- 都道府県
- 埼玉県
- 州/県
- 埼玉県
- 市町村
- 蕨市
- 事業主体
- 株式会社 ROUTE 69
- 事業主体の分類
- 個人 その他
- デザイナー、プランナー
- 斉藤元一郎、米谷達也
- 開業年
- 2025年
ストーリー
地図
都市の鍼治療としてのポイント
日本中のライブバー、ロックバーでロックのセッションが夜な夜な繰り広げられている。そこは同好の士が集う社会的な空間だ。そして、日本中に数多くあるロックのセッション・バーでも、このルート69ほどお客に愛され、慕われているお店はないであろう。少なくとも筆者は寡聞であることもあるが知らない。お客が株式会社を設立してまで店の閉店を阻止したいと思い、実際、行動してしまうという事例は極めてユニークであろう。
ルート69は2025年6月7日にオープンする。そのオープンに際しての挨拶文でボスは次のように記している。
ピンクキャデラック閉店セールラッシュで怒涛の毎日
そんな中でジャンキーさんがお店を続けないかという話しをしてくれましたが
ボスは一旦店を本気で閉めさせてください!
とお願いしておりました
そしてピンクキャデラックは無事に閉店出来ました
その後改めてジャンキーさんが
やる気の無かったボスに対して
この店は絶対になくしてはならない!
株式にしてはどうか?
そういう面倒は一切ジャンキーが引き受ける!
ボスは今までのように店やっていてくれさえすればよいと熱く語ってくださりました
それならもう一回頑張ってみても良いかな!と
今まで一人で、全ての営業を考えてやってきましたが
これからは株主&セッションプロデューサー、近しいお客様達が
一緒に考えてくれるならば、こんなに心強い事はございません。
そして株主たちの出資で
今までに見たことのないステージを
作り上げることができ、店舗設備も多少改善されました
ボス一人では絶対にやらなかった事です
新しい機材に配線もつなぎ直し
音響もピンクキャデラックより格段に良くなっておりますよ!
皆様ぜひこのステージに立って見て下さい
最後に
ROUTE 69と言う名前ですが
アメリカの古い国道
ROUTE 66からパクったのは間違いありません
69はロックという事で、ロックの道という事です
ボスは60歳でピンクキャデラックを辞め
ちょうどここの更新が3年おきですので
また9年頑張れれば、ちょうど69歳
そしてその国道69号は
我々の世代のサンクチュアリへとつなげたいと思っております
この文章に、既にお店を経営する側とそこで客として消費する側という対立構造が退き、店をともに営んでいくという新たな協働構造へとパラダイム・シフトしていることがうかがえる。それは、まさに三浦展が指摘をした『第四の消費』的現象であり、新たな店舗経営の一つのスタイルを提示しているといえるであろう。
ロック・セッション・バーというのは都市が生みだした産物であろう。そして、ロック・ミュージックが広く社会に浸透したのがビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ等が活躍した1960年代、そして、それらに啓発されてレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ザ・フー、デビッド・ボウイ、グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザースなどが裾野を広げていった1970年代であろう。これらの音楽を聴いて育った世代が2000年代以降「オヤジロックブーム」を引き起こす。それは、中高年世代が青春時代に聴いていたロック音楽を軸にした音楽活動やカルチャーが再燃した現象であった。ルート69の前身であるハニーフラッシュが開店したのは2001年。まさに、それらの世代の潜在的需要を顕在化させ、さらに彼ら・彼女らのロック熱に油を注ぎ込む役割を果たしたのである。ボスが「オヤジロックブーム」を点火したのではないか、と言われる由縁である。そして、それら同じ需要を有する人々を繋ぐ役割を果たしたのがインターネット、さらにはSNSの普及であった。
市場経済にいたずらに翻弄されないための、一つのオルタナティブなアプローチをルート69の開店にみる。それは同時に、街の魅力を維持するための有効性の高い方法論でもあり、示唆に極めて富む事例であると考えられる。
【取材協力】
斉藤元一郎
【参考資料】
Route 69のホームページ
https://route69.club/
ルート69は2025年6月7日にオープンする。そのオープンに際しての挨拶文でボスは次のように記している。
ピンクキャデラック閉店セールラッシュで怒涛の毎日
そんな中でジャンキーさんがお店を続けないかという話しをしてくれましたが
ボスは一旦店を本気で閉めさせてください!
とお願いしておりました
そしてピンクキャデラックは無事に閉店出来ました
その後改めてジャンキーさんが
やる気の無かったボスに対して
この店は絶対になくしてはならない!
株式にしてはどうか?
そういう面倒は一切ジャンキーが引き受ける!
ボスは今までのように店やっていてくれさえすればよいと熱く語ってくださりました
それならもう一回頑張ってみても良いかな!と
今まで一人で、全ての営業を考えてやってきましたが
これからは株主&セッションプロデューサー、近しいお客様達が
一緒に考えてくれるならば、こんなに心強い事はございません。
そして株主たちの出資で
今までに見たことのないステージを
作り上げることができ、店舗設備も多少改善されました
ボス一人では絶対にやらなかった事です
新しい機材に配線もつなぎ直し
音響もピンクキャデラックより格段に良くなっておりますよ!
皆様ぜひこのステージに立って見て下さい
最後に
ROUTE 69と言う名前ですが
アメリカの古い国道
ROUTE 66からパクったのは間違いありません
69はロックという事で、ロックの道という事です
ボスは60歳でピンクキャデラックを辞め
ちょうどここの更新が3年おきですので
また9年頑張れれば、ちょうど69歳
そしてその国道69号は
我々の世代のサンクチュアリへとつなげたいと思っております
この文章に、既にお店を経営する側とそこで客として消費する側という対立構造が退き、店をともに営んでいくという新たな協働構造へとパラダイム・シフトしていることがうかがえる。それは、まさに三浦展が指摘をした『第四の消費』的現象であり、新たな店舗経営の一つのスタイルを提示しているといえるであろう。
ロック・セッション・バーというのは都市が生みだした産物であろう。そして、ロック・ミュージックが広く社会に浸透したのがビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ等が活躍した1960年代、そして、それらに啓発されてレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ザ・フー、デビッド・ボウイ、グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザースなどが裾野を広げていった1970年代であろう。これらの音楽を聴いて育った世代が2000年代以降「オヤジロックブーム」を引き起こす。それは、中高年世代が青春時代に聴いていたロック音楽を軸にした音楽活動やカルチャーが再燃した現象であった。ルート69の前身であるハニーフラッシュが開店したのは2001年。まさに、それらの世代の潜在的需要を顕在化させ、さらに彼ら・彼女らのロック熱に油を注ぎ込む役割を果たしたのである。ボスが「オヤジロックブーム」を点火したのではないか、と言われる由縁である。そして、それら同じ需要を有する人々を繋ぐ役割を果たしたのがインターネット、さらにはSNSの普及であった。
市場経済にいたずらに翻弄されないための、一つのオルタナティブなアプローチをルート69の開店にみる。それは同時に、街の魅力を維持するための有効性の高い方法論でもあり、示唆に極めて富む事例であると考えられる。
【取材協力】
斉藤元一郎
【参考資料】
Route 69のホームページ
https://route69.club/