谷中

谷中地図
フィールドワーク
辰巳 渚
 

1.歩いた日:2007年1月11日木曜日、午後2時から午後5時

2. 谷中とは
  日本を体験する街・生活が意識化された街

 オルタナティブツーリズムという言葉がある。要は、団体で観光名所を回る従来型の旅行ではなく、仲間数人で地元の暮らしに密着した、そして旅行者にとっては新鮮な体験(市場で買い物する、窯元で陶芸をやってみる‥‥)を楽しむ、といった旅行のことだ旅行がリピートされるものになり、世界が狭くなって、名所旧跡に「行った」だけでは満足できない層が、日常とは異なる非日常の暮らしを楽しもうとするようになっている。

 旅行の変容の理由は、世界が狭くなっただけの理由ではないだろう。外国に旅行に出られるほどの豊かな人々は、いわば近代化された人々だ。日本という国ならば国全体において。発展途上国の富裕層であればその教育や職業やライフスタイルにおいて。近代化された視線とはすなわち欧米資本主義国の視線であり、私たちは世界を旅しながら、近代が忘れていた豊かさや土着性を、近代西洋人の感覚で新鮮に懐かしみたがっているのではないだろうか。

 谷中とは、京都や奈良、あるいはその他の「日本的な観光地」以上に、日本を新鮮に懐かしむ場所だと思う。もう少し言えば、日本人を、日本人の暮らしを懐かしむ場。この地が、(とくに白人)外国人居住者をひきつけるのはだからだし、私たち日本人が、おじさまおばさまから若い学生にいたるまで、懐かしそうにこの街を歩こうとするのは、だからだ。

 日本の暮らしを懐かしむ場になっているのは、なぜか。ひとつには、そもそも観光地ではない(人寄せとなる名所旧跡があるわけではない)から。もうひとつには、上野浅草の裏側にあたり江戸市街であったという歴史が街並みに残っているから。また、戦前の街並みが残っているから。そして、(観光名所とまではならない)寺社仏閣が多いから。最後にとても大事なこと。雑誌『谷中・根津・千駄木』を代表とするように、住民によって街が暮らしの場として意識化されているから、ではないだろうか。

 

●評価1—「日本の暮らし」がそこにある

 谷中は下町と言われる。下町とは、「広義には年の低いほうにある町をいう言葉で、高台を指す山手の対語である。東京では、京橋、日本橋から神田、下谷、浅草方面に町家が多く、人口の密集した地域が低地にあったことから、狭義にはこの地域を指す。また、都市の商工業に従事する町家が多い地域一般を指すこともある」(平凡社大百科事典)。私の理解では、私たちが「下町」と言うときには、都市のなかで(つまり郊外ではなく、農村でもなく)働き盛りの年齢を含めその地域で暮らしている(多くの時間を過ごす)人が多い町をイメージしているように思う。対語としては、郊外ベッドタウンだ。そして、都市部は集合住宅住まい、郊外は整然と並んだ国籍不明・住み手不在の住宅街となっている現在、谷中のような町は、すでにどこにもない「私たち日本人のほんとうの暮らし」を体現した町として、特異な地位を占めるのだと思う。その特異性は、外部からは「下町情緒」と認知され、内部からは「この町のよさを守らねば」と意識化されることで、さらに強化されていく。

観光地よりももっと身近な、近所の散歩よりはもう少しエキゾチックな、街歩き。その様相が、データからもよくわかる。

【谷中への来訪者】
居住地 都内 関東地方 その他
  56.6% 35.8% 7.5%
年代 10代 20代 30代 40代 50代 60代 70代
  1.5% 12.7% 13.7% 14.2% 32.0% 21.8% 4.1%
来訪回数 3〜4 5〜9 10〜 毎年
42.7% 13.5% 8.4% 9.0% 7.3% 19.1%
台東区観光課(1999年のデータ、やや旧いが状況はそれほど変わらないはずだ)

谷中の特徴として、「nipponが好きなガイジン」が住みたがる街、という側面がある。アーティスト系の白人=ガイジンに人気の地区であるのも、「nipponの暮らし」を感じる町だからだろう。

【外国人居住者に好まれる東京の街】
首都圏整備に関する年次報告(平成14年版首都圏白書)国土交通省より

 

●江戸、ジャパン、nippon的風情

 いかにも「日本」を感じさせる建物があちこちに残っている。寺社が多いため、住居や商店としては散在しているだけだが、町全体が日本情緒にあふれた街であるかのように感じさせる。

お寺の門は、瓦と木でできているだけでなく、筆書きの文字しかも漢字を街に氾濫させている。書体からも「nippon」を感じる   七福神で有名な谷中。町内会の活動も活発なのか、季節季節に「ジャパン」の習慣が見られる
六地蔵が街中にある暮らし   谷中小学校   「まちかど賞」の掲示がある塀

 

●下町、昭和30年代、和的風情

 「懐かしい」という言葉がふさわしい風情。この「手の届くところにあった人情あふれる過去」とでも形容すべきイメージが、谷中の特徴だ。繰り返すが、それはほんとうにそこにあったもの、ほんとうに今もあるものであることが必要なのではない。そういうイメージを来訪者も居住者も意識化し、共有していることが重要なのだ。もちろん、居住者の中には、そのようなイメージに惹かれて訪れる人々をうっとうしいと思い、生活が落ち着かない、週末になるとうるさい、といった悪印象を持っているものもいるという。これは、観光地化された地域の住民に共通の悩みではあるが。(住宅については後述)

のれんを出した酒屋。三越呉服店みたいだ   おじさまとヤングが喜びそうな煎餅屋。ビンがポイント   銭湯とは「昭和30年代」のキーワードの1つ
こういう商店が、かつてはあたりまえだった   この陳列の仕方も、かつてはあたりまえだった。秋葉原にはその現在形がある

 

●評価2—旧きよき日本の住まい-1門構え

 「人の暮らす家」とはこういう家だったのだ、と深い感慨にふけりたくなる家が散見される。あまりにも典型的な、あまりにも戦前山の手中流階級的な和風住宅ではなく、ごく普通の家族がごく普通の営みをしていたのは、こういうなんでもない家だったのだと思う。これがまだ普通の住宅としてあたりまえに残っているところに、谷中のよさがある。まさに「日本の暮らし体験」だ。

こういう家が中流の家だった、と再確認させられる家。とくに「門と玄関」周辺は、最近の住宅にはない「日本の住まいのたたずまい」が感じられる

 
庭のない下町庶民の家はこうだった、とやはり再認識させられる。下町といえば軒先園芸

 

 

●旧きよき日本の住まい-2植栽

 現在の流行は、ミモザ、ハナミズキ、ライラック、イングリッシュガーデン。だが、日本の、そして関東の風土にはこういう植物がなじんでおり、生活にあたりまえに存在していたのだ。そして、正月のお重には南天の葉、お正月には水仙、お節句には桃の花や菖蒲の葉、やけどにはアロエなどがあたりまえに使われていた。それら育てやすく見なれた植物を家の周囲に配して、街並みは親しみやすく心なごむ場となっていた

かつてはどこの庭にも見られた夏みかん

  軒先にはアロエの鉢、玄関脇にヤツデを植えると縁起がいいという

 
北側の植栽といえばアオキが定番だった

  サザンカの垣根は「焚き火」の歌にも歌われる

  ビルでさえもヒイラギナンテンと石灯籠

 

 

●評価3—その街で生活が完結できる

 「通勤」というものができるまでは、自分の住む街で生活のほとんどのことが足りていた。それが「地域」というものだった。「街」までも広がらない、「町内」で済むものだったようにも思う。買い物、引越し、冠婚葬祭、仕事、学校‥‥。そして、おそらく、外部から冠婚葬祭時や商売のために来る「お客さん」を「お客さん」として「生活する街」に組み込むようにできていたように思う。旅館や仕出屋がそうだ。

「生活する街」の中心が商店街。あたりまえのことだが、いまや珍しいことになってしまった。

  駅前に不動産屋があるのはよくあることだが、この地元密着感はどこから来るのか。商売相手を町内と考えているような印象だ

 
いまに至るまで街の印刷屋が成り立つとは。寅さんの柴又を思い出す。貸本屋は、「閉店しました」の告知文が。

  商人宿という言い方も懐かしいビジネス旅館。

 

 

●評価4—「その先」「その奥」を感じさせる

 表参道も「その先」を感じさせる奥行きのある街だった。視界が振り切れる坂、曲がった路地、視界が吸い込まれていく小路、神社や寺院への参道や門、視界とは少し違う意味で奥への関心を引く商業施設の開け放たれたドアやパティオ、個人住宅の玄関や門構え。表参道と同じではあるが、より「暮らし」に密着した観がある

    富士見坂の上から

  富士見坂の下から

道から鳥居が奥にいざなう

  生活道というか路地というか、住民しか通らないという暗黙の了解を感じる

 
小さな商店が並ぶ小路。惣菜を買っている人がいた

  直角に折れる路の角が公園。道を曲がるか、公園を散歩するか

 

 

●評価5−頭上が覆われても圧迫はされない心地よさ

 表参道も「その先」を感じさせる奥行きのある街だった。視界が振り切れる坂、曲がった路地、視界が吸い込まれていく小路、神社や寺院への参道や門、視界とは少し違う意味で奥への関心を引く商業施設の開け放たれたドアやパティオ、個人住宅の玄関や門構え。

塀沿いに樹木が覆いかぶさってくるが、圧迫感はない。中が寺院だという安心感なのか。寺院はときに不気味なものだとは思うが、ビルや線路の圧迫感とは人肌の具合が違う   なにか大きなものが上にあるぞ、と感じて見上げると、境内にある大きな樹木だった

  上からスズメの声が降ってくる。商店の2階に鈴なり