谷中

谷中地図
フィールドワーク
川上 正倫
 

●懐かしさの維持と更新に苛まれるまとまりの街谷中

谷中がもつ景観としての決定的事実としては、寺が多いということに尽きる。寺というのは、新しくも古くも大概が瓦屋根の伝統的な形式に乗っ取って建てられている。境内の作り方など住宅とは異なる建築密度や配置をつくりだす要因となる。また、大きな領域を占める墓地もまた景観の印象を「和」もしくは「伝統」的なものへと引きつけている。これらは、この街において「懐かしさ」や「歴史的街並」など景観そのものを売り物となすべく崇められ、谷中銀座のイメージづくりに貢献したり、根津・千駄木とあわせて「谷根千」と冠する雑誌が定期的に出版され人気を博している。実際には、京都のように回るべきポイントがあるわけではない。しかしながら、日曜日などには街歩きのツアーが時折見受けられ、特定の目的地がなくぶらぶら散策が行われ、東京でも珍しいエリアといえるかもしれない。この街歩きを想像するに「懐かしいのだ!」と自分に言い聞かせて「懐かしいもの」を発見する骨董品店か古本屋で掘り出し物を見つけ出す感覚に似ている。実際細かい窓の格子や棟飾りなど「伝統的意匠」をあちこちで発見できる。街並としては、写真で撮っても大して他の東京の住宅密集地と変り映えしない部分も多いが、街を歩くにつれ、断片的に現れるお寺の屋根や古い「ボロ屋」の軒先の凝った意匠のような詳細部分が総じてこの街をひとつのまとまりとして仕立てている。

以下、そのあたりを念頭に実際に歩いてみることにする。

 

●領域を象るもの

不忍通りから谷中方向を見る。かつては小さな建物が立ち並んでいたが、大通り沿いは高層マンションへの更新がほぼ終わっている。街区の中から見ると高層マンションが壁になっているのがよくわかる。

 
谷中側からの日暮里駅前の景観。
線路によって分断されている距離もあり、所行地域との断絶が強調されている。谷中墓地を抜けるといきなり隔絶された都会がまっているのも東京らしい景観。この距離感をどう考えるかが歴史的景観の取り扱いの参考となることだろう。

 
ゆうやけ段々との名で知られる階段。階段上からはビルの壁が見える。この階段に象徴される崖によって寺/墓地地域と商店/住宅密集地域がやんわりと境界づけられている。

 
よみせ通りを抜けると完全に谷中エリアとの断絶を感じる。これは、決してビルの背が高くなったからでもない。実際に若干古い建物も散見される。エリアの中心軸としての大通りではなく、エッジとしての大通りという違いに何かがあるような気がする。  

 

●懐かしさを演出する要素

双方とも古くから有名な老舗。かたや町家形式を守り、かたやビル(白いビル)に立て替えながら細かな部分は伝統を印象づける設えになっている。

 
装う欲望の不思議を感じる2つの例。片方が交番でもう片方が小学校。両方とも実際には木造建築でないものの瓦屋根を用いて景観への連続を試みているようである。しかし、交番は、駐車場の必要性からセットバックしていることで、小学校は度を超した偽装によってかえって周囲から隔絶された印象を受けてしまう。伝統も「自然」でなければテーマパーク以下である。要素をピックアップするのはいいが、固執することによって「不自然」になってしまってはかえってまとまりから外され、滑稽な景観を生み出す結果になりかねない。

 
歩くのにしたがってちらりちらりとお寺の瓦屋根が見え隠れする谷中の典型的景観。

 
 
古い様式と新しい様式の対比的な構図。特にこども向けの施設はかわいらしさを演出しようとして周囲とのまとまりが作りづらくなることが多いように感じる。

 
手前の建物がなくなってしまってかえって門らしさを失ってしまった寺。もう一方でもそうだが、寺の建物自体は敷地境界からある程度距離をとっているので通りから奥まったところに瓦屋根が見えることになる。それが、きっと谷中的な景観に広がりを作り出しているのではないだろうか。

 
長屋形式で住棟間隔ゼロで連なる建築群が断片的に残っている。この断片化具合が全体に拡散されていることで

 
墓地前の参道?スペースには特に古くからの瓦屋根の建物が集まっている。これらが街と墓地という異なる空間を緩衝しながら連続させるまとまりを形成している。

 
日暮里駅裏手にもまだ寺と古い商店が立ち並び谷中のイメージを拡張している。

 
 
「1984年の東京都モデル商店街第一号で整備をし、15年経過した施設も老朽化したので『東京都ふれあい商店事業』指定を受け1999年の3月完成しました。 21世紀を目指して、“人に優しく・来てみて楽しい・ちょっとレトロな!”をコンセプトに、道路には高齢化社会を睨んだ歩きやすいアスファルト(カラー)とカラー平板の併用を採用、個店には共通の庇(ひさし)と、各店の個性を表現したデザインのぬくもりのある手彫りの木製看板、そして郷愁を誘うレトロ風な軒先灯をそれぞれ設け、店の壁面には谷中の史跡40景を掲示しました。そしてお揃いの軒先灯と看板照明が商店街と店頭を照らしだし、組合員にも光の重要性を再認識してもらい、営業時間の延長と夜型の現代社会に対応する」(谷中銀座ホームページより)
実際に賑わいを取り戻した商店街として活気のある景観を形成している。照明や木製看板、谷中の絵を飾ったりと共通のフォーマットを利用しながら、そのレイアウトなどは個々の自由に任せている事によって「作られた」いやらしさから解放され、デザインされた有機的な街路景観を作り出している。
 

 

●「密度」という景観

多くの路地が曲がっていてパースペクティブな景観を阻害する。奥までの見通しがきかない分街並としての厚みや密度を感じる。

 
車の幅しかない狭小建物。しかしよく見ると薄く瓦の庇が。もう一方は、黄色の壁に漆喰のこて絵のような模様が施されており、玄関庇も瓦屋根になっている。むしろこのような細かさが谷中景観の楽しさであり、景観の意味的連続が形成されているといえる。

 
色、大きさ、様式などの差が極めて大きい。しかしながら、このような凸凹の街並が決して谷中らしさを壊しているわけでないことに注目すべきである。谷中的な街並は、決して西欧のそれとは成立基準が同じではない。景観評価においてそのような基準の発見の必要性に気づかされる例。

 
建物の凸凹具合と電線や自販機、加えて店の看板や植物などが無造作にあらわれる決してきれいとはいえないが日本らしい景観。これをヨーロッパの街並と比べて貧相であると決めつけるのは安易であろう。

 
家と家の日もささないような路地を緑で飾る。誰が始めたともわからない下町によく見られる景観。

 
通り沿いも同様に緑を配す。通行にとっては、むしろ邪魔ともいえるこのような緑が道路ぎりぎりまで建物が立ち並ぶ街を有機的なものにしている。

 
同様に日もささない狭い路地と緑。

 
狭いところほど植栽が施されている。手入れのされ方の程度はひとそれぞれのようだが。  

 

●意図していない関係

谷中の桜の上にひょっこり覘く工事中の高層ビル。高層ビルというのはあちこちから予想外の見え方をする事が多い。ランドマークとしても、日本のような多義的な景観のもとではどのような立ち振る舞いをするかが非常に難しい。

 
寛永寺内の徳川家墓所。ひょっこり覘くビルが少々まぬけ。同じビルは当然墓地のあちこちで仰ぎ見る事ができる。死者の眠る箱と生きる者が眠る箱。

 
周囲に建物が浸食してきて墓地の飛び地のように残された場所が脈略なく現れる。このような散らばり方が谷中をおどろおどろしさというよりも生活感があふれる景観にしたてているように感じられる。

 
写真だとわかりにくいが周囲の住宅敷地と同じスケールの公園。このように既に密集市街地になってしまったところに無理矢理作る公園は周囲の状況をいろいろ表していて思わぬ状況を作り出す事が多い。ここでは、住宅がなくなった空き地をそのままになっているような公園としての弱さが逆に公園本来の自由さをつくりだしているように感じられる。  

 

●余談

西日暮里駅前の崖の断面。処理面が道の左右で異なるというのも領域意識に影響しているかもしれない。もともと尾根としてつながっていたのだろうか。

 
我が母校を通り抜ける坂。雨の後、手前のマンホールを滑って塀に激突する車が絶えない為建てられた3本の柱。街には理由を知らないと意味不明なオブジェがたくさんある。
谷中墓地内を通り抜ける道路では、駐車禁止のコーンが立ち並ぶ。もう古くて壊れているものもあり、むしろ路駐よりも景観的には問題な気がする。

 

総括

谷中が実際に歴史的な街並を維持しているのかどうか、もしくは、谷中の街並が維持するに値するような歴史的な景観を築いているかどうかは別として、墓地、寺、そしてそれに準ずるふるい家屋や商店が散在することによって独特の景観形成がなされていることは間違いない。ここにおける景観は、ある視点場があって、写真を撮るべきような絵的な景観があるわけではなく、むしろ体験によって蓄積されていくあるイメージを構成するパーツである。表参道や秋葉原のような「街並」による景観カテゴリーが難しいともいえる。京都など歴史的な価値が明快な地域とは異なり、このような多少古い雰囲気が遺っている街というのは、谷中ならずしても探せば多いに違いない。現状の谷中は、意識してかしないか、そのような街に「懐かしさ」という名目で肩肘はってテーマパークにしてしまうことなく、街にそのような景観的な価値を与えているよい見本となりえているように思う。