街データ

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表参道の由来

梅雨空の下、表参道の基本情報を得ようと原宿の区立図書館に行った。司書から渡された資料の中に商店街がつくった街づくり記録冊子があった。これはと思い商店会を訪ねた。事務局長の毛塚さんが親切に対応してくれた。貴方達も好きだねぇといった感じで、表参道を愛する同朋を迎えるように接してくれた。話は表から裏の話へと尽きなかった。長年かかわってきた街への愛着が偲ばれる爽やかなインタヴューだった。
以下は、そのインタヴューを再構成したもの。

商店街の成り立ちについて・・・

表参道は大正9年に明治神宮創建とともにできました。戦後、代々木にワシントンハイツができてから米軍家族相手の商店ができたのが商業の始まりです。朝日美術、オリエンタルバザーやキディーランド(書店だった)が最初で、テーラーもありました。
その後は東京オリンピックを契機に大きく変わります。それまでは同潤会アパートが最も大きな建物だったのですが、代々木オリンピックプール、コープオリンピアなど大きな建物が続々できます。そして、時代を切り開くクリエーターがセントラルアパートに集まり、時代の先端を行く街のイメージができあがりました。

ワシントンハイツがアメリカ文化を置き土産にし、
時代の空気に敏感な若者達が集まり、トレンドをリードする街になった・・・

オイルショック不況時には、低迷する大手アパレルに代わりマンションメーカーが台頭します。ラフォーレ原宿が成功し、ファッションアパレルは大量生産体制時代から少量多品種生産時代になりました。また、アパレルから雑貨へと、ライフスタイル時代の流れもつくります。そして、表参道が完全にブランドとして一人歩きし始めます。

表参道が全国区になると・・・

バブル時期には地価が1億円/坪を超え土地に絡む現実離れした噂がたくさんありました。バブルが崩壊し、原宿交差点のセントラルアパートが迷宮に入る話は有名です。日本の銀行は路線価を担保基準にしますが、外資は実勢価格を担保基準にします。バブル前後の土地を巡る騒ぎはそのギャップも一因となっています。バブル後、急降下した土地価格を買いに走った外資が今の高級ブランド街を形成しますが、何とも複雑な心境となる話です。

バブルは表参道にも・・・

表参道の土地価格は商業店舗の負担力をはるかに超えています。それでも出店意欲が減らないのは広告塔になるからです。ユニクロの成功がよい例だと思います。他の商店会などは地価が中途半端に高いため、芸能人ショップやお土産屋に特化されてしまう有様です。一方、表通りから外れた裏原宿エリアは若者達の旺盛なクリエイティビティーが健在です。表通りと裏原宿を、縦軸と横軸と捉えていますが、これが表参道の魅力の一つとなっています。

商店街の発展は・・・

昭和60年に東京都の表参道整備計画が実施されます。そのとき商店会(「欅会」)も環境整備に出資します。1億円の負債を負ってしまうのですが、街景観管理について東京都、渋谷区に並んで実質的な管理者となりました。商店会は、おかげで無秩序な開発を規制することができていると自負しています。

街環境を守る施策は・・・

表参道商店会の自慢は、街路をいつもきれいに保っていること。その方策はいろいろありますが、まず、店舗の前は自主的に清掃すること、落書きなども即時に清掃するようにする。欅の落ち葉対策、剪定も大変ですが、欅の成長調査もおこなって、これまで順調に育ててきました。また、街を元気にしつづけるために常に表参道として情報発信を行っています。特に力を入れているのがイベント。大型イベントとしては「スーパーよさこい」があります。今や2日間で12万人を集める全国イベントに成長しました。

これからの表参道は・・・

表参道には欅が201本ありますが、戦災を乗り越えた60歳の欅も13本あります(台風等の倒壊のため現在は11本)。表参道の命は「欅」にあるのです。発足当初商店会は「原宿シャンゼリゼ会」でしたが、「原宿表参道欅会」に変更しました。パリにあこがれた時代から、独自の個性を持つ時代になったと考えているからです。表参道の発展は常に欅並木と共にあります。明治神宮とのつながりなども大事にしていきたい考えです。

 

原宿表参道欅会商店街振興組合 毛塚明事務局長 インタヴューから