秋葉原

秋葉原地図
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フィールドワーク
添田 昌志
 
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●街の玄関・秋葉原駅

 ある街や建物を把握しようとする時、その入口や起点は極めて重要である。なぜならば、訪問者にとっては、そこが街の軸になり、原点になるからである。その意味で駅は街を認知する原点となる場所であり、線路は街の軸を形成するものとなる。駅と街の構造がうまくリンクされていることは、初めて訪れた人が街を容易に理解する大きな助けとなる。
 その観点で秋葉原の駅を観察するとどうだろうか?線路はグリッド状の街に呼応するかのように、十字の形状をしており、街の軸線となっている。しかし、これはあくまでも地図などで俯瞰的に見た場合の話である。実際に駅の中から街へ出ようとすると、その複雑な駅内部の通路構成ゆえ、直ぐに方向を失ってしまう。これでは、自分が電車でどの方向からやってきて、どういう向きで街にアプローチしているのかといったことを把握することは不可能だ。残念ながら、この駅は、街を認識する原点としての役割を果たすことは難しいようである。
同じ出口(電気街口)なのに、サインが示す方向はバラバラ・・・
(C-1)
 
通路が入り組み複雑な駅構内。ぐるぐると駅の構内を引きずり回されているかのよう。(C-2)(C-3)
 
複雑な駅構内の経路を通り、ようやく「電気街口」にたどり着くと、そこには、「電気街」のイメージとは無縁の風景が広がっている。電気街を目指してやってきた人は迷ってしまう可能性が大きい。(C-4)(C-5)
しばらく歩いて見えてくる風景がこれ。電気街の裏側が見えてくる。街と駅が切り離されているかの印象。(C-6)
 実は、電気街口を出て右に進むと上のような風景が広がっているのだが、左に進むと、いかにも電気街口といった風景の見える場所に出る。つまり、出口の名前とは、実は改札口の名前であるがために、その先に出口が複数ある場合には、こういった事態が起きてしまう。しかも、改札を出たところには、なんの案内もサインもない。
このように空間認知にネーミングが与える影響は大きい。駅の内部だけでなく、街との関係性に十分配慮することが重要である。
 
 
駅が変わると広告も変わる。そういう街なんだなと、駅の中から印象付けられる。
(C-7)(C-8)
(C-9)(C-10)

 

●看板とあふれ出し

 この街の象徴は、大型看板とあふれ出しと言い切っても過言でない。この街の看板は、そのマーケティング的機能、自分が売りたいものの情報をいかに対象ユーザーに効率的に伝えるか、というものとは一切無縁である。とにかく、「外壁面は全て看板によって覆い尽くさなければならない」といったルールでもあるかのごとく、至るところに出されている。看板は時として、街の景観を壊す一大悪人のように指摘されることもあるが、この街では堂々主役として渡り合っている。つまり、この街では看板は情報伝達装置ではなく、景観構成要素として成立しているのである。
 
 
看板の勢いは留まるところを知らない。普通は線路の高架というものは、街と街を分断するエッジとして機能することが多いのだが、ここでは、看板が埋め尽くすことによって、街を一体化している。他ではなかなか見られない現象だろう。
(C-11)(C-12)
(C-13)(C-14)
 
建物の外壁部分は看板が覆い尽くす一方、路上に面した建物の足元はモノで覆い尽くされている。これは、電気店だろうと、オタク系のショップだろうと、飲食店だろうと、業態に関係ないようだ。この街では、そこが何のお店なのかは、看板でもなく、店舗ファサードのデザインでもなく、溢れ出ているモノで判断される。(C-15)(C-16)
   
   
 
脇道が面白そうかは、そこに見える看板と溢れ出しの量で判断。
(C-17)(C-18)(C-19)
(C-20)(C-21)(C-22)
(C-23)(C-24)
 そして、モノが溢れるところには人も溢れる・・・この雑然さをここに来る人は求めている。看板・モノ・人が三位一体となった街、秋葉原。
 
(A-25)(A-26)
 看板がなくなると違う街。そして、そこには人もいない。「ディストリクト」(ある共通の特徴を持ったひとまとまりの地域)が非常に明確。
 しかしその一方で、個々の建物のアイデンティティはない。余談だが、映画「電車男」では、秋葉原のシーンが数多く出てくるが、それが秋葉原だということは直ぐに分かるのだが、秋葉原のどの場所なのかまでは私には全く分からなかった。右を向いても、左を向いても、同様に看板とモノと人が溢れているからである。このことは、「電車男」のデートシーンに使われていた表参道とは対照的であった。そのシーンでは、建物のデザインからすぐに場所を特定することができた。
 私が上に示した写真の場所を全て特定できる人はかなりのアキバ通に違いない。
 
(A-27)(A-28)

 

●アンバランスな再開発街区

 他方、再開発の街区には、看板・モノ・人といった要素は一切ない。むしろそれらを拒否するようにそびえ立っている。しかし、そのために、この中に何があるのか、何が行なわれているのか、外からは全くうかがい知れないものになっている。 先に、映画の中のシーンの話で、それが「秋葉原」であることはすぐに分かると書いたが、この場合は、どこにでもあるカーテンウォールのビルで、これが秋葉原であることすら分からくなってしまっている。
 街の魅力とは、他の街では体験できないものを提供することにあるのだとすれば、秋葉原のそれは看板・モノ・人であり、それらを全て拒否したこの街区は、果たして、この街の魅力を高めることに貢献しているのだろうか・・・
(C-29)

 
対照的な旧街区と再開発街区の景観。一体感、連続感を欠き、街のエッジを形成してしまっている。この異質な2つの空間が、今後、どう結びついていくのか、もしくは、このまま交わらないままのか、興味深いところではある。(B-30)(B-31)
 
再開発ビルの中には、インフォメーション施設やゲームセンターがある。しかし、その存在を知る術がないまま、人が集まってくるのだろうか。特にインフォメーションは街の案内役。みんなに見られる場所にいないといけないのだが。。。(B-32)(B-33)
建物の切れ目から突如現れる巨大な再開発ビル。明確な方向性のないグリッド状のこの街では有効なランドマークとして機能する。しかし、このビルがこの街のランドマークたるべきかどうかは議論されるところだろう。(A-34)

 

●秋葉原のアンビギュイティ

 秋葉原は、電気の街として発展し、その後、オタク系と言われる店が増えてはきたものの、他の街と比較すれば、店や人の属性はある意味偏り、一義的なものである。そして、街の構造もグリッド状で単調なものである。しかし、この街の場合は、一義性をとことんまで追求すれば、それが独自性となり、立派な街の魅力(アイデンティティ)となり得ることを証明している、興味深い事例である。