第3回

「分断化の本質」
~西村先生のインタビューからの考察~

 前編・後編の2回に分けて掲載させていただいた西村先生への取材インタビューにおいては、団塊ジュニア世代・就職氷河期世代にフォーカスした研究をもとに、この世代の経済的自立と支援ニーズ、さらにはこれからの時代に求められる生活保障についてお話しいただきました。その後、本研究のメンバーによる座談会を開催し、インタビューを終えての感想や気づき、また、研究としてさらに深めていきたいことなどについてまとめました。以下にそれらを紹介いたします。

正規・非正規を問い直す

 西村先生の研究結果から、就職氷河期世代は社会に出た時に就職難を経験しただけでなく、年齢を重ねるにしたがって自立した生活を成立させるのが難しくなっている現状が示唆されました。また、日本は元々、年齢が上がるにつれ格差が広がる傾向にありましたが、「就職氷河期以降の若年層では同世代間格差が広がっている」とする大竹文雄先生の研究(2005,『日本の不平等 格差社会の幻想と未来』日本経済新聞社)への言及もありました。

 生活が不安定になっている就職氷河期世代への支援策として、政府は今、非正規雇用の正規雇用化を打ち出しています。しかし、西村先生が行った就職氷河期世代へのグループインタビューでは、非正規で働く人から「正社員になりたい」という声は聞こえてこなかったと言います。これは重要なポイントだと思います。

 つまり、現在の「正社員」「非正社員」の定義や枠組みの中で、単純に「非正社員」を「正社員」にしようとしても、なりたい人はそれほどいるわけではない、ということです。もちろん生活を安定させたい、スキルを向上させたいといった願望はあるけれども、正社員になると働く場所や時間が決められて、柔軟な働き方ができなくなってしまう。それよりも、自分の専門性を活かしながら、好きな時間に働ける非正規のほうが育児や介護をしながら働きやすい。実際、ITなどの専門スキルを持った若者がインターネットを使って収入を得るケースもあり、そのような方法で収入を得られるのであれば、正社員になることに必ずしも興味を示さない若者がいる、という話でした。

 西村先生は、「『非正規の正規雇用化』を推し進めるだけでいいのか、正社員のあり方そのものを問い直す必要があるのではないか」と指摘されているわけですが、この議論は非常に新鮮かつ重要なものだと思います。柔軟な働き方のニーズに合っているのはむしろ非正規なのではないか、と考えることもできるわけです。ですから、正社員という働き方を選ばず、非正規の働き方を支持する人も多いのでしょう。

非正規雇用でも
安心して働ける社会に

 一方で、非正規の働き方を選ぶと、日本では生活が安定しにくいという社会構造の指摘もありました。つまり、日本は正社員で働くことを前提にして社会制度が整備されているため、非正規で働く人たちの社会保険や健康保険には不備があります。非正規で働く人たちの社会保障を作っていく必要がある、という西村先生の指摘はとても重要だと思いました。

 また、非正規の働き方は、賃金が生産性に連動しておらず、高い専門性を持っていても賃金が低く抑えられてしまうという問題も指摘されていました。実際には、「正規と非正規では生産性において違いはない」という実証研究があるにもかかわらず、一方は年功序列の賃金制度で守られていて、一方はその賃金制度からは除外されています。専門性の高い仕事であっても報酬が低く抑えられていることに加え、主婦の「年収の壁」などの制度によって必要以上に格差が広がってきており、それが逆に非正規を雇うインセンティブにつながっているという現実もあります。

 政府は今、「年収の壁」を超えても手取り収入が減らないようにするための施策を打ち出し、「年収の壁」を意識せずに働ける環境づくりを推進しています。しかし、政府はまた的外れな政策を進めようとしているのではないかという疑問が拭えません。というのも、「非正規的な柔軟な働き方が望まれている」というのが政府の言い分ですが、非正規の柔軟な働き方ばかりにスポットを当てていると、非正規の報酬の問題や社会保障の問題が見えなくなってしまいます。そこにも目を向けて、非正規で働く人たちの生活保障も考慮した社会を構築していかなくては、正規・非正規の問題を本当に直すことにはならない。これは西村先生が指摘された重要な点ではないかと思います。

階級理論から見えてくる
非正規の働き方とは

 1990年代に入り、フリーターの増加を皮切りに非正規雇用の割合が増えたことで、日本の強みだった中間層の下に「アンダークラス」という新たな下層階級が出現し、格差社会が到来した――そう指摘したのが、橋本健二先生(社会学者、早稲田大学教授)です。西村先生のインタビューでは言及はありませんでしたが、橋本先生の論文(2018,「現代日本の階級構造と階級間移動」吉田崇編『2015年SSM調査報告書3 社会移動・健康』, pp123-147)と併せて考えてみると見えてくるものがあるように思います。

 橋本先生によると、戦後の日本は、資本家階級(企業経営者)、新中間階級(エリート層、専門職)、労働者階級(正社員)、加えて旧中間階級(自営業者)の4つの階級で構成されてきました。新中間階級は、教育水準が高く高収入で、豊かな生活をしているホワイトカラーを指していますが、これを正社員(労働者階級)と分けて考えているのは特徴的だと思います。そして、これまで資本主義社会の最下層だった労働者階級が、正規労働者と非正規労働者に分かれ、両者の格差が大きくなってきたために、非正規労働者(パート主婦を除く)を新たな下層階級として捉え直したのがアンダークラスというわけです。

 橋本先生は、親世代から子世代に移るときの階層間移動についても研究されています。子世代は親世代の階級を受け継いでいるのか、それとも別の階級へ移動しているのか、ということです。近年は、資本家階級と労働者階級で流動性が減少している、つまり固定化が進む傾向にあるようです。一方で、新中間階級はそれほど固定化されていないと言います。これらのことから推測できるのは、一旦、新中間階級から転落して労働者階級になると、そこから抜け出すのは難しいということかもしれません。

階級の固定化と
自己責任論の危うさ

 橋本先生が新聞の取材インタビュー記事(『インタビュー現在地2019年参院選 格差広がる「自己責任」論』朝日新聞2019年7月17日朝刊)で指摘されているのは、「新中間階級がアンダークラスへ転落することを現実的な恐れとして抱くようになった」ということです。このことも、新中間階級が流動的であることを示しているように思います。また、新中間階級の59.7%が、「競争で貧富の差がついてもしかたがない」という自己責任論を支持しているとする調査結果にも言及されています。

 これを読むと、いかにも日本人らしいと感じます。要は、階級が落ちることに対して、「競争で負けたのなら仕方ない」と思っているわけです。しかし、問題は、一旦落ちるとそこから抜け出すのが難しいということです。社会保障の観点から言うと、一度アンダークラスに転落した人がもう一度チャレンジできることが大切であり、転落した本人だけでなく、子ども世代にまで貧困が引き継がれることは阻止しなければなりません。これに関して橋本先生は、「累進課税の強化などで最低の生活保障を実現するための再分配政策」の必要性を主張しておられます。

 この主張は西村先生の指摘にも通じるところで、非正規で働く人たちの最低限の生活を保障しなければ、生活保護で生活せざるを得ない人が増えていきます。その負担が無視できないほどに大きくなるであろうことは、様々な推計からも明らかです。貧困は犯罪など見えないコストを増やすことを考えると、格差を自己責任論として語るのはとても危険です。

 また、先ほど「働き方のニーズに合っているのは非正規だから、非正規で働くことを望む人が多い」と述べましたが、非正規で働くという選択は、アンダークラスに転落する確率を高めることになります。これに対して策を打たなければ手遅れになると西村先生は警笛を鳴らされているのだと思います。

女性がエンパワーメント
される社会に

 最低限の生活保障として西村先生が提唱されていたのが、家族単位の保障ではなく、個人単位での保障でした。つまり、現状の児童手当のように、シングルマザーが子どもとセットで保障される形ではなく、子どもが成人したあとも女性が単独の人間として生活保障されるのが望ましい、という考え方です。この考え方は本研究においても打ち出せるポイントではないかと思います。

 個人としての生活が保障されれば、自分が望むライフスタイルを自由に選びやすくなります。例えば結婚生活において、万が一離婚するかもしれないリスクや心配があったとしても、個人としての保障がしっかりしていれば、子どもを持つという選択肢を選びやすくなります。また、離婚後も個人の生活が保障されるならば、弱い立場の女性が離婚を決意しやすくなります。

 牧野百恵さん(経済学者)は、著書『ジェンダー格差-実証経済学は何を語るか』(中公新書、2023)の中でこう語っています。妻が今、働いていないとしても、働ける力が女性にあることがとても重要であり、それによって夫婦仲も良くなり出生率も高くなる、と。つまり、妻に働く力があり、仮に離婚しても妻は生きていけることに夫が気づいていると、妻に交渉力が生まれて、夫も妻を尊重するようになる、というわけです。

 牧野さんが強調しておられるのは、女性が自立できる力の重要性です。働くと決意したときに良い仕事が見つかると信じられることが、女性のエンパワーメントにつながります。にもかかわらず、日本では女性のエンパワーメントが他の国に比べて低いことが、出生率にマイナスに影響していると言います。女性の自立を社会全体として支えていくことが、男性にとっても女性にとっても良い方向に動くであろうことは、疑いがないように思えます。

一部の人を優遇する
「正社員」の仕組み

 ここまで見てきたように、今、日本社会は分断していて、自立した生活が難しい層への生活保障や救済は喫緊の課題です。これについて合意し、社会に提言していくことは意義あることだと言えます。一方で、西村先生へのインタビューをふまえ、本研究としてさらに踏み込んだ議論として、正規・非正規問題の根底にあるものをもう少し見ていく必要があるのではないかと思います。

 それは、特権的な正社員の構造です。
日本では昔から立身出世を良しとする考え方があって、「あなたが努力したかしないかが成功のカギを握るんですよ」と自己責任論が幅を効かせてきました。しかし、今の社会を見ると、正社員であるだけで経済的な安定が確保できて、その中で競争し続けると一部の人がトップに上り詰められるという昇進の仕組みがあります。この仕組み自体が、一部の人に特権を与え、下駄を履かせてきたことにならないのでしょうか。特権的な構造が存在している事実を可視化することが重要であり、それをしない限り、日本の仕組みは良い方向には変化しないのではないかと思うのです。

 特権的な正社員の構造はどのようにして守られてきたのか、日本の中間層が強かった時代にさかのぼってふり返ってみます。1980年代頃までの日本は、親の所得や職業に関わらず、努力すれば上に行ける社会でした。これがいわゆる「中流階級」であり、日本では非常に強い力を発揮していました。厚い中間層は日本社会の強みとして海外からも評価されていました。

 高度経済成長期は終身雇用・年功序列と相性がよく、雇用の安定が安定した出生率と、安定した家庭、安定した社会を形成しました。つまり、雇用が安定していたからこそ、女性は専業主婦になり、安心して子どもを産み育てられる社会が形成されていったのです。夫が稼ぎ、専業主婦が家庭を守るという社会システムは、1970年代の高度成長期が終わるまでは上手く機能していました。

特権を守るために下層階級を
生み出した

 やがて経済成長が鈍化し、共働き社会になると、一部の人(=男性正社員)を特権階級とする、終身雇用・年功序列の社会システムは機能しなくなります。にもかかわらず、特権階級は自分たちの特権を守るために、新しい階層をつくり出しました。それが、橋本先生が指摘された下層階級です。1990年代以降は非正規雇用が急速に拡大し、格差社会が到来しました。

 最初に格差議論が起きたとき、経済学者も社会学者も「非正規雇用者=主婦のパート」と捉えていて、非正規雇用による格差が広がったとしても大した問題ではないと考えていました。ところが実際には、非正規雇用の増加は男性にも広がっていて、新しい下層階級を形成していました。そのことを日本の学者達は認めていなかった、注視していなかったのです。ここが重要なポイントだと思います。

 つまり、彼らが守りたかったのは、男性の正社員だったのではないでしょうか。男性は強くあるべき、だから正社員として立身出世していくのが正しい生き方である。家族のためなら、プライベートも犠牲にして長時間働くこともやむを得ない。そうした“男らしさ”の価値観を「正社員」と結び付け、男性正社員に固執していたと言えるのではないでしょうか。今の若者に正社員という働き方が魅力的に映らないのも、それが一因であると言えます。

 従来の社会システムはもはや機能しなくなっているにも関わらず、イデオロギーとしての終身雇用・年功序列が政治利用されている現状もあります。つまり、女性が家にいてくれるから、子どもが安心して成長できるし、国は福祉にお金を使わずにすむ。「家族は福祉の含み資産」という表現もあるくらいです。逆に女性が働きに出れば、家庭が不安定になり、子どもの数は減り、夫にもマイナスの影響があり、離婚も増えるかもしれない。このように政治的に歪められた考え方が、年収の壁や配偶者控除の問題を作り出しています。
 そう考えると、女性の自立を妨げているのは、ただ単に労働市場の問題というだけでなく、社会全体で時代に逆行するような政策を取り続けてきた結果だと言えそうです。

分断社会の根底にある
イデオロギーの存在

 男性正社員にだけ与えられた特権は、今の若い世代はあまり享受していませんが、イデオロギーとしては存在しています。そして、その根底には「強い男性vs弱い女性」という昔ながらの価値観があります。強者だとか弱者だとかいう考え方自体が、従来の強い男性像を引きずっています。このことをしっかり直視し、一部の人を優遇する仕組みが人権や平等の観点から適正なのかを問うことが、社会の仕組みを新しく変えていくための第一歩になると考えます。

 男性正社員の中にも特権階級からこぼれ落ちる人が出始めている現実において、男性自身も自分たちの価値観を変えていく必要があるのではないでしょうか。どのライフスタイルを選択するかは個人の選択であって、ガンガン働きたい人は働けばいいし、プライベートを重視したい人は重視すればいい。そこに強者vs弱者、男性vs女性の価値観や属性を入れる必要はありません。今、自分が生きている時代は親世代とは違う価値観で生きる時代であることを、腹落ちして、生き方を選択していく必要があります。多様化する家族や個人のあり方をちゃんと捉えていくことが大切です。本研究ではその必要性を訴えたうえで、新しい社会のあり方についての考察・提言をしていければと考えています。

座談会を終えて【まとめ】

 西村幸満氏への取材は、様々な発見がありました。終戦後、約80年を迎えようとする現在、社会や経済が移り変わる中で、経済においては「高度経済成長」の時期や「失われた30年」と形容される時期があり、日本人の生活レベルは経済的側面からは厳しい局面に移行したと言えるでしょう。もしくは、先行きに関しての展望が見えにくい局面と言っても良いかも知れません(それ故、試行錯誤しているという事実も一方ではあります)。
では、社会的側面はどうでしょう。正規・非正規の議論もありましたが、正規つまり正社員であることの最大のメリットは、終身雇用や在籍年数による賃金の上昇(所謂、年功序列賃金)という安定的生活の基盤と考えられます。ところが、経済の失速によって、その生活の安定が崩れてきています。それは中流意識の崩壊(格差社会の到来)、そして少子化社会へと繋がっているのかもしれません。
 その中で、「自己責任」という言葉、仏教の教えである「因果応報」に近い意味で日本人は素直に受けいれているのだと思います。階層社会の中で中流から振り落とされても、「それは努力が足りなかった自分の責任だから」という解釈をします。「非正規を選んだのはあなただから…」といったこともあるかもしれません。結婚や離婚、そして出産も自己責任となり、その結果、厳しい環境に陥ることや負のスパイラルが続くことも少なくありません。シングルマザーの貧困は当事者だけの問題ではなく、社会の問題として受け止めなければ、若者は子どもを産むこと、結婚をすることから遠ざかります。つまり、自己責任的な考えは仕事の面だけで横行しているのではありません。
 かつては、普通のライフイベントとして捉えられていたことが、リスキーな賭けと感じてしまう、結果的に多くのことを求めないことで今の生活レベルの維持を考えることが普通になってしまう社会、逆に言えば、普通のライフイベントですら成功者(富める者)だけの特権となってしまう社会、そういった社会が今、我々の目の前に広がっているのかもしれない。
 続・人生のてんき予報として、インタビュー取材を行いました。過去or現在の生活レベルに対する回帰や維持願望(≒戦後社会の幻想とも思える中流であり続けたいという願望)に基づいて、てんき(転機)において“諦める”ことによって活路を求めるという社会の様相が見えてきた気がします。
 分断化の本質とは、過去の価値やイデオロギーから脱却できない中で、例えば正社員の限界(終身雇用&年功序列)、結婚や育児の限界など、仕事や家庭の在り方が破綻をきたしつつある現状にある気がします。このまま継続されれば、一時的な格差を超えて、世代を超えて階層として定着してしまう。ただ、全く悲観的にそれらを受け止めても仕方ない、新たな価値創造、自由というか多様性というかは別にして生き方についての模索が、個の単位から再構成されていく段階にある、また、そうでなければならないと感じます。