第1回

前編:就職氷河期の経済的自立と求められる支援ニーズ

西村先生は、就職氷河期に代表される若者の実態について、経済的自立とキャリアの観点から調査研究されています。その内容について教えてください。

 国立社会保障・人口問題研究所が2017年に実施した「生活と支え合いに関する調査」から得たデータを用いて、就職氷河期世代の自立の実態とキャリアの不安定化について分析を行いました。「就職氷河期世代」とは一般的に、経済不況により就職難が生じた1993年から2005年までに労働市場に登場した若者のことで、今ではすでに中年以上になっています。この研究では、就職氷河期世代が「最初に職に就いた後」と「現在」における自立の状態を検証し、それらを他の世代と比較したところ、就職氷河期世代は初職時に就職難を経験しただけでなく、時間が経過した現在においても自立が困難であることが明らかになったのです。

生活費用の担い手が誰かによって
「自立」を定義する

 何をもって「経済的に自立している」とするのかですが、我々が自立を測る指標として用いたのが、「生活費用の担い手」です。本人の収入の多寡で自立を測る方法もありますが、そうではなく、「今の生活を誰が担っているのか」に注目し、さらにそれを「世帯単位」で見ている点がポイントです。というのも、この世代はすでに中年以上になっており、現在は結婚して家族を形成しているか、単身の場合でも親やきょうだいと同居して生活を支え合っていることが多いからです。
 生活費用の担い手としては、「本人」だけの場合もあれば、「本人と配偶者」、そこに「父母」が加わる場合もあります。我々は、生活費用を「本人の世帯」で担っている場合、つまり「本人、配偶者、またはその両方」であれば「自立している」、「親の世帯」等が生活費用の一部でも担っていれば「自立していない」と定義して、最初に職に就いた後と現在の自立の実態を分析しました。
 全年代で見ると、最初の仕事に就いた後に半数以上が「自立」しており、男性に限れば6割を超えています。つまり、男性は最初の就職で親からの経済支援を離れ、自分(もしくは自分と配偶者)だけで生活費をまかなう人が多いということです。一方、女性はその比率が下がり、半数を切ります。この調査では、人生の他のタイミングでも同じ質問をしていて、女性の場合、就職しても結婚するまでは親からの支援が続く傾向が見られます。
 親の支援に関して補足すると、仕事を辞めた時は男女ともに親の支援が入りますが、離婚した時はそうではありません。離婚しても親が面倒を見てくれないのは、男女に共通しています。

自立した生活は、
初職時より現在のほうが難しい

最初の仕事に就いた後の「自立」を年代別に比較したのが図表1です。

図表1 出生年でみる初職時の自立(2017年)

 56-60歳を基準年齢(基準変数1)にして、それより高いか低いかで見ると、就職氷河期世代である36-40歳・41-45歳と、団塊世代を含む66-70歳が高くなっており、最初の就職の後に自立しやすくなっています。高度経済成長期に就職した団塊世代はともかく、就職氷河期世代も最初の就職で自立できたということは意外に思うかもしれません。就職氷河期世代は、就職難であっても非正規の仕事などに就き、低い賃金でも自力で生活を成り立たせていたと推測できます。
 次に、現在の「自立」について見たのが図表2です。

図表2 出生年でみる現在の自立(2017年)

 これを見ると、就職氷河期世代は基準年齢よりも低くなっています。つまり、自立しにくいということです。就職氷河期世代は、初職時はなんとか自力で生活できたものの、年齢を重ねるにしたがって自立した生活を成り立たせるのが困難になっていると言えます。
 さらに、就職氷河期世代以降の若い世代に目を向けると、若い世代ほど自立した生活が困難になっています。就職氷河期世代以降の若い世代の生活をどのように保障していくかは、今後の大きな問題だと思います。

若い世代の犠牲の上に成り立つ
「団塊世代の就職温暖期」

団塊世代が特に“いい目”を見てきたことが、この調査でも明らかになったわけですね。

 そうですね。なぜそうなったのか、団塊世代が社会に出た1970年代前半の社会背景を振り返りながら考えてみると、あの頃はちょうど第一次産業から第二次産業に移行して、雇用システムができあがっていく時期でした。1976年から雑誌連載された堺屋太一さんの『団塊の世代』という小説があります。その中で描かれた団塊世代は、若いうちはどんどん給料が上がるけれども、40歳を過ぎる頃(1980年代後半)から組織が弱体化し、リストラや配置転換が始まり、不運を経験する世代として描かれていました。ところが、実際にはそうならなかった。
 むしろ、自分たちの雇用を守るために、若い世代を不安定な労働市場に押し出して、彼らの社会的自立と雇用の機会を奪ってきました。その結果、団塊世代はよい状態で現役生活を終えましたが、若い世代の不安定な状態は続いています。日本は終身雇用とか長期雇用とか言いますが、それは若い世代を犠牲にして自分たちの雇用を守ってきた結果が、勤続年数の長さに表れていると言えるのです。就職氷河期世代に対応して団塊世代を表現するなら、辛辣な言い方になりますが、団塊世代は「就職温暖期世代」であったと言えます。

団塊世代の恩恵を受けている
側面もある

そうなると、就職氷河期世代は、戦後の雇用システムを維持するために貧乏くじを引かされた世代と言えますね。

 はい、そう思います。しかし、その一方で、実は就職氷河期世代は団塊世代の恩恵も受けています。というのも、就職氷河期世代の半数は団塊世代の子どもなのです。団塊世代の親と一緒に暮らしている人の中には、豊かで安定した暮らしができている人もいるでしょう。ただ、就職においては、企業組織の中に団塊世代が居座っていたせいで、安定した仕事に巡り会えなかった。つまり、戦後の雇用システムで享受できるはずの恩恵はすべて親世代が独り占めして、子ども世代は貧乏くじを引かされた、と言えるのです。

親の生活がそれほど苦しくなければ、本人は非正規の仕事を続けながら今の収入を維持して、いずれ親の資産譲渡を当てにできると考えている人もいるかもしれませんね。

 そうですね。今は少子化で一人っ子の家庭も多いので、一人っ子同士が結婚すれば親の資産がダブルで期待できます。団塊世代の資産を子ども世代が継承して、それが生活の糧になるのなら、少しは明るい将来を描けるのかもしれません。
 ただし、それはリスクの大きなギャンブルのようなものです。団塊世代はまだまだ元気で寿命も長いので、親の資産を子に転用できるのはいつになるかわかりません。また、資産の移転を期待しながら生きていくのはあまり好ましくはないでしょう。今の時代、自分がやりたいことを選択して、好きなことをやって、それが収入や生活保障につながっていくのが社会の変えられない流れだと思います。
 自分の主体的な働き方は担保しながら、親の支援をふんだんに受けられる層もあれば、親の支援を受けられない層もいる。親の介護をしなければならない層もいる。地方出身者も分が悪いかもしれません。地方に親の家もあり土地もある状態だとしても、本人は都会にいて地方に帰れない場合、親の資産の恩恵を期待するのは難しい印象です。それは運命としか言いようがないものかもしれませんが、人生のいろんな苦難があってもなお、その人の生活が保障される仕組みを国としては作っておく必要があると思います。

拡大する就職氷河期世代の
内部格差

 これまで見てきた世代間格差だけでなく、同世代間格差にも注目してみると、就職氷河期世代には他の世代には見られない特徴があります。『日本の不平等 格差社会の幻想と未来』を著した大竹文雄さんは、日本では元々、高齢期になるほど格差が広がっていくという図式だったのが、90年代を境に、25-29歳の若者層で内部格差が広がるようになっていると指摘しています。この年齢層はいわゆる就職氷河期世代に重なります。しかも、同世代間格差の拡大は、現役世代の中では就職氷河期世代以降の若年層にだけ見らえる特徴だと言います。
 つまり、団塊世代が作ってきた日本社会の構造では、若いうちは同世代間で格差はなく、高齢期になるほど格差は広がるものの、みんなそれなりに生活することができました。しかし、それより若い世代はその流れに乗ることができずに、若いうちから格差が広がっている。そのように潮目が変わったのは、就職氷河期世代以降と言えそうです。この頃には非正規雇用が広がり始め、所得の格差が生まれました。そうしたこともあり、就職氷河期世代の生活は不安定化していったのだと思います。

正社員になりたいわけではない。
非正規雇用者が求める
現実的な支援とは?

西村先生は、就職氷河期世代が何を求めているのか、グループインタビューも実施されましたね。

 はい。2017年と2018年に、当時の就職氷河期世代にあたる36-45歳を対象に、就労に関するニーズを探るためのグループインタビューを行いました。すると意外なことに、非正規で働く人たちから「正社員になりたい」という声は聞こえてきませんでした。むしろ出てきたのは、「福利厚生をよくしてほしい」「時給を上げてほしい」など、非正規雇用の待遇改善を求める内容が多かったのです。
 これはどういうことかというと、正規雇用になると職場が変わって、家族と離れて暮らさなければならないとか、満員電車で通勤しなければならないとか、新しい仕事や人間関係に適応しなくてはならなくなります。すでに中年になり、非正規の仕事でもそれなりに生活を成り立たせている層には、こうした正社員のハードルが思いのほか高いのです。
 それよりも現実な選択肢として挙がってくるのは、「親の介護のために自動車のガソリン代を会社にサポートしてほしい」「有給休暇がほしい」「育児休暇がほしい」など、生活が少しでも楽になるための待遇改善です。正社員が制度上受けている恩恵を非正規雇用でも手にしたい、というわけです。
 となると、政府が今、就職氷河期世代に対する支援策として進めている「非正規の正規雇用化」は、必ずしも就職氷河期世代の欲しい支援になっていないのではないかという疑問も生まれます。

「非正規」と
ひとくくりにすると、
見えなくなるものがある

確かにそうですね。日本の政策は正社員中心主義みたいなところがあって、現実とは異なる理想に人々をはめ込もうとしているような気がします。

 おっしゃる通りです。就職氷河期世代に対して、「正規雇用に就けずに、トレーニングも受けられず、非正規の仕事をたらい回しにされる、不遇で可哀そうな世代」といったレッテルをすぐに貼りがちです。もちろん、そういう側面があることも否めませんが、そのような中でも自分たちの裁量で状況をコントロールし、それなりに生活している人も当然いるでしょう。
 また、我々が思っている以上に非正規の職業の幅は広くて、正規よりも高収入の非正規の仕事も当然あります。例えば、古くは製造業の養成工や期間工などはまさにそうで、固定的で中心的な雇用層とは別に、特定の期間だけ働くことで現場を支える“バッファ”としての層を戦前からキープしていたわけです。また、実際に80年代後半から90年代の派遣業の人たちは高い給料をもらっていました。自分たちは組織に縛られずに自由だし、仕事の選択肢はいくらでもある。自分の人生は自分でコントロールしています、という感じですごかったですよね。そのようなところから「フリーター」という言葉が生まれたのだと思います。ただ、派遣業は規制が緩和されると一気に状況が悪くなっていきましたが。
 このように、短期雇用だからといって一概に「可哀そう」とは言えなくて、我々が想像する以上に生活が厳しい層もあれば、それほど厳しくない層もいるはずです。それをすべて「非正規」で一括りにしてしまうと、そこにあるはずの個別性が見えてこなくなります。

そう考えると、正規/非正規に分けることがそもそもどうなのか、と問い直す必要があるかもしれませんね。昨年の企画「人生のてんき予報」では8名の男女にインタビューしましたが、最初は正社員で入社したものの、その後、自分のやりたいことをやるために非正規で働くようになって、それなりに面白い仕事人生を送っている、という方が何人かいらっしゃいました。これらは、転職しながら自分のキャリアを積んでいくアメリカ的なキャリア形成と非常に似ています。
 ただし、違いもあって、それは日本では非正規になってしまうと報酬が異常に低くなってしまうことです。正規/非正規と制度上は二分されていますが、マーケットエコノミーとは関係ないところで決まってしまっています。だったら、正規/非正規の壁をなくして、自分がやりたい仕事に就きながら、生活も保障される仕組みがあるとよいですよね。

支援制度が若者を歪めている!?

 先ほど「非正規の正規雇用化」の話をしましたが、そうした就職氷河期世代に対する支援策はとても大事ですが、それがかえって若者を歪めた方向にガイドすることもあると思います。古い価値観を持つ親であれば、「正規雇用化の支援策に乗りなさい」と子どもにも勧めるでしょう。でも、今は社会構造が変わってきていて、昔の価値観に従って生きることが必ずしも過ごしやすいとは言えません。
 社会構造の変化の一例を挙げると、日本には、若者は3月31日に学校を卒業して、4月1日から入社するという構造があります。これは世界的に見ても異質な構造ですが、源流は戦前の計画輸送から戦後の集団就職にさかのぼります。都市や工業地に人を集めるために、卒業したばかりの若者を集団就職列車に乗せて、学校の職業指導の教員が添乗して連れて行くという仕組みを、戦前でいうと内務省、戦後でいうと労働省が推進したのです。その名残で、今も卒業と就職までの期間が極端に詰まっています。また、地方から首都圏への一極集中という構図も生まれました。
 最近はその揺り戻しが起きていて、逆の流れが生まれつつあるように思います。つまり、地元定着と都会から地方への流れです。地方で結婚したり仕事に就いたりして、地域に根差した活動で生活していこうとする若者が増えています。これが大きな流れになっていくのではないかと見ています。
 それを実現するためのインフラは、やはりインターネットでしょう。インターネットが登場したことで、会社勤めをせずとも、いきなり自分のビジネスを始める人が現れています。美味しいもの、上質で便利なもの、優れたアイデアを生み出す人が、インターネットを通じてそれらを誰かに届けることで、地方発の商売ができます。従来のように、組織的な役割分担で商品を売るための仕組みを作らなければならなかったのが戦後だとすれば、これからの時代はそれだけではなく、それとは違う新しい構造が生まれてきています。
 新しい構造を生み出したり牽引したりするのは、若い世代なのだろうと思います。ですから、「非正規の正規雇用化」を古い価値観で推し進めるよりも、若い人たちを信じて任せてみてもいいのかもしれません。

流動的な働き方の
選択肢があってもいい

世の中が急激に変わってきているのだから、若者への支援策も新しい時代に即したものへとシフトしていくべきなんでしょうね。

 おっしゃる通りで、もっといろんな選択肢があってもいいと思います。非正規で働くことのメリットは、短期的にパッと稼げることですが、一方で正規のように長期間の安定は望めません。短期間でお金を稼いだ後にどうするかを考えた時に、例えば若い頃はチャレンジして、たくさん成功もするし、たくさん失敗もする。その後、30代40代になったら日々の生活を安定できるような仕事に転化する。そのような選択肢を整備する必要があるのかもしれません。
 もちろん、正社員として組織で働くという選択肢がなくなるわけではありません。そういう働き方を望む人や、そういう働き方が合っている人もいるので、それは否定できません。ただ、日本の大企業に勤める人は全体の3割くらいで、残りの半数以上は別の人生を歩むことを考えると、もっと流動的な働き方の選択肢が世の中にあってもいいはずなんです。

そうですね。若者に対して単純に起業を勧めるのも違うと思いますが、むしろ失敗したときの支援が日本には足りない気がします。何が失敗なのかは議論の余地がありますが、なかなかやり直しがきかないのが日本の環境だと思います。それは就職や仕事しかり、結婚もそうかもしれません。もっとやり直しがきく世の中になるといいですね。

 はい。もっと言えば、若者の選択肢は日本だけに留まらないんですよね。海外で挑戦したい人には、どんどん飛び出してもらう。そして、その人が日本に戻ってきた時には、「日本には大企業の正社員しか選択肢はありませんよ」ではなくて、海外での経験を活かしてその人が活躍できるような選択肢を用意しておく必要があると思います。

(後編につづく)