東京都市圏における『10㎞~20㎞圏エリア』にある街を探訪する。その魅力は?

今、東京都市圏で最も注目されるのは、最大の人口数と世帯数、高い人口密度を持つ
東京10㎞~20㎞圏エリア

東京都市圏における『10㎞~20㎞圏エリア』にある街を探訪する。その魅力は?

60,70年代に大成長した赤羽の街は、ただ今サバイバル中 

 大東京都市圏をつくってきた都心と郊外は、地域の若年人口動向や高齢化などの問題で大きく揺れ動いているが、人口増エリアとして注目が集まっているのが東京10㎞~20㎞圏のエリアだ。高度経済成長期のマイカー普及期以前に発展した住宅居住地をベースとして、駅前の整備や業務・商業地化がほどほどに進み、最近はマンションの建設が盛んで2000年代からの都心や郊外拠点都市での大再開発プロジェクト施工の波が、このエリアにある街々に波及してきた。今後これらの街々の駅前を中心とする開発が進むと、都心や郊外の居住にも大きな影響を与えることは間違いない。この変化は、20世紀の「職住分離」という東京都市の生活スタイルを大きく変える起爆剤となりそうだ。 

東京10㎞~20㎞圏の街がなぜ活性化しているのか?本探訪シリーズでは、今まで「自由が丘」「三軒茶屋」「北千住」「中野」エリアをレポートしてきたが、第六回は、東京の北の玄関である『赤羽』をとリあげた。

赤羽という街はその町の歴史とその形成状況をたどってみると、首都東京の劇的な変化があるたびにその魁として様々な出来事に出会う。例えば、明治時代の富国強兵時代には『軍都』、第二次大戦の米国の大空襲時には無差別都市爆撃の猛威に見舞われ、戦後の復興期で東京人口の一極集中が始まったころ東京最大の『マンモス団地』が誕生。また、高度経済成長期の大衆消費時代には大型スーパー企業同士初の流通大戦争が起こっている。さらに東京の人口が減り始める80年代には東京の都市圏全体の都市交通の再編の波により『JR埼京線』と言う新路線が稼働し、都心・副都心との流出入の競争に見舞われた。

 赤羽は、国や東京都など行政によって街のあり方が強制的に変えられてきたように思える。
その赤羽は、今は元気である。その秘密は何なのか?

 

執筆:立澤芳男(マーケット・プレイス・オフィス代表)

 

都市(街)探訪シリーズ 第6回レポート全文は以下のPDFでお読みいただけます。

 第6回 赤羽|都市(街)探訪シリーズ連載

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