都市圏居住の未来を探るシリーズ
「小家族都市」を考える

2. 流体的近代と集合住宅
饗庭 伸/首都大学東京 都市環境学部准教授

 年始の里帰りの機会に私が生まれ育ったところを歩いてきた。阪神間のベッドタウンとして発達た西宮市の海に近い、酒蔵と、阪神電車と、住宅地とヨットハーバーでできているところである。

 阪神間の市街地は、北側の六甲山系と南側の瀬戸内海に挟まれた平地に形成された。平地は大阪から神戸まで東西に長く、山と海に挟まれて南北は短い。山から海へ南北に流れる幾筋もの小河川が小さな圏域をつくっている。私の両親は神戸で生まれ、その後に西宮に移り、夙川という小さな河川の流域の中でライフステージに合わせて何度か転居して暮らしてきた。格別に変わった人生ではないと思うが、どの人も違うように人生は固有であり、都市の中にその人生を置くと、都市形成の一つの断面を鮮やかに切り出すことができる。

 私が見に行ったものは、ちょうど私が生まれる直前の1970 年までに兄と両親が住んでいた集合住宅と、その後に転居した私の生家となる戸建て住宅のあった住宅団地である。二つは同じ不動産開発会社が1970 年前後に開発したもので、一本の幹線道路を挟んで隣りあっている。集合住宅は、当時はまだ珍しくて注目を集めるものだったそうだし、一部がメゾネット住戸になっているなど、民間による集合住宅開発の黎明期に大衆のニーズを探りながら設計されたものだったのであろう。

 両親は1968 年に開発されたその集合住宅の55平米の一室を購入し、子どもが増えて手狭になると考えて、窓から見えたところに開発された戸建て住宅を購入した。当時の価格にして、集合住宅は約500 万円、戸建て住宅は約1000 万円だったとのことで、戸建て住宅の購入の際に集合住宅を売却して半分をカバーし、残りはローンを組んだという。小さな庭が付いたその家で私は10 歳までを過ごしたが、その後に両親は夙川の上流に新しく開発された土地に住宅を建てて転居した。ご多分にもれずバブル経済下の地価高騰の恩恵にあずかり、戸建て住宅は4000 万円で売れたそうだ。築10 年の生家のその後は、これも極めてありふれた結末だが、あっという間に取り壊され、別の戸建て住宅がそこに建てられた。

 

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 2. 流体的近代と集合住宅

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