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Interview 03

日本食の精神

インタビュー:中東篤志氏

日時:2025年11月6日  場所:SOAN(京都市下京区)

中東 篤志(なかひがし あつし)

カリナリー・ディレクター。
One Rice One Soup株式会社 代表取締役。
料亭を営む家系に生まれ、父のもとで料理を学び始めるが、高校卒業後はバス釣りのプロを目指してアメリカへ移住。23歳の頃、バックグラウンドを意識し始めて料理の道へ復帰。NYの精進料理店で副料理長兼GM を務める。現在は国内外で日本の飲食文化の発信に努め、料理人兼飲食店プロデュース、運営、食の地域創生を手がける。

ワンライス・ワンスープ、
左にご飯、右に汁、それをお箸で食べることが日本食の本質であり精神。

ワンライス・ワンスープについて教えてください。

中東:簡単に言うと、左にご飯、右に汁、それをお箸で食べることが日本料理・日本食のベースであり、基礎であり、本質的なところじゃないかなと思っています。この精神性を踏まえて、日本食を国内外に発信していき、日本人が減少、或いは日本人が日本食を忘れていく時代の中で、何か、ハッとさせられるようなものが出来たらいいなって思っています。今は、まず、そのワンライス・ワンスープという、この精神性を国内外に発信していき、次世代に繋いでいくということを目的にして、色んな活動をしています。

長いアメリカ生活の中で日本食の本質にあらためて気づいた

ワンライス・ワンスープを発想したきっかけは何ですか。

中東:高校卒業してすぐアメリカに行ったんです。アメリカ生活が長くて、向こうに行ってる間に、日本のことを聞かれる訳ですよ。高校卒業して間もない頃で、日本の事だと思って説明してても、同僚の日本人に言われたのが、「篤志君の言ってることって、日本の事じゃなくて京都のことやんね」って言われた時、心の中にちょっと、その言葉がグサッと刺さって。
 もう20年以上も前ですけど、その時の記憶が忘れられなくて。そうか、自分の言ってる事って京都のことなんだな、日本の事をちゃんと知らないといけないなと、その時、思ったんです。それから色んな事を学びながら、質問された事に答えていって、そうこうしている内に、料理をしてたら日本のことを伝えられるっていうのが、何となく分かってきて、ニューヨークで精進料理屋を開けるから、誰かいないかっていうタイミングで関わらせてもらって、精進料理屋さんの立ち上げに携わったんです。
 そこから6年間、副料理長兼ジェネラル・マネージャーという立場でお仕事をさせていただきました。メインの仕事はもちろん、飲食店としての料理提供サービスだったんですが、オーナーが京都の人で、「お前たちは日本の代表だと思って、ニューヨークでやれ」と言われていたので、日本のことを伝えるという事が多かったんです。
 英語を喋れる料理人が僕しかいなかったので、お客さんに対しても、スタッフに対しても伝える事が多かったんです。本当に料理のことを一個一個説明している内に、僕がしたい事って、料理人というお仕事ではなくて、この料理を通して、日本のことを伝える仕事をしていきたいな、という思いがありまして、その時に、日本食って何だろうなって色んな事を考えたり、色んな人の意見を聞いたりしていました。

日本食について、思い巡らせていたんですね。

中東:はい。日本食って、出汁なのか、いや違うな、そうじゃないぞと。じゃあ味噌汁なのか? いや違うな、ご飯なのか? いや違うな、何だろう?ってなった時に、思ったんです。
 やっぱり、僕らって左手って何の手? お茶碗を持つ手? 右手って何の手? お箸持つ手って教えられて。この左と右の関係性ってすごい重要で、と言うのは、左利きの人であろうが、お箸って右手で持つよねと。今の人たちは多分、違うんでしょうけど、やっぱり、右手でお箸を持つということが全員の共通として在ると。
 そしたら器(料理)に対してお箸が必ず右から入るんですよ。と言う事は、多分、左奥に高いものが盛られていて、右手前になるほど低くなるっていう、この日本料理の盛り方っていうのは、ごくごく自然なことで。この事自体が、多分、日本食として大切な事なんじゃないかな。
 この左手がお茶碗を持って、右手でお箸持って、これは器もちゃんと持ちましょうねって暗に言っていて、この左にご飯、右に汁、これをお箸で食べるっていう、これがほんまに原点で本質的なことなんじゃないかなと。
 やっぱり、出汁って言ってても、今の気候変動で昆布も取れなくなっているし、鰹節も作れなくなったってきた時に、何百年後か、出汁が使えなくなりましたって言った時に、日本食が終わるのかって、そうじゃないと思うんです。日本人が日本食っていうのを思った時に、本質的・普遍的なものって何だろうってなった時に、やっぱり、この精神性かなっと思いまして、これを、やっぱり、伝えていくべきなんじゃないかなと。

味の事では無いのが興味深いですね。

中東:例えば、このご飯の中がかやくご飯でもいいし、もしくは、外国のスパイスの入ったご飯でもいいだろうし、スープも味噌汁じゃなくてもいいし、お澄ましでもいいし、もしかしたらスパイスの入ったカレースープみたいなものでもいいと。
 ただ中身は何でもいいけど、左にご飯 右に汁、これを箸で食べるということが日本食であるって考えたら、日本食をもっと簡単に、いろんな国の人たちが解釈して取り入れ易くなり、日本食はもっと広がりも見せられるかもしれない。それが大事なんだということが伝われば、その時代、その時代において、必要なことを必要な表現で、その時代に生きている人がやれば、日本食っていうのはずっと続くんじゃないかなということで、このワンライス・ワンスープっていう名前をもとに、日本食を広めようと考えました。

日本食の原点・本質を広めようとカリナリー・ディレクターを名乗っていらっしゃるのですか。

中東:そうですね。日本食の精神を伝えるって言った時に、これ何の仕事やろうと思って。料理人ではないなあ、肩書きどうしようかなって。起業したのが2015年で、肩書きが必要やなって思った時に、アメリカ人の友達に相談したら、カリナリー・ディレクターがいいんじゃない、みたいに言われました。
 最初は取材とか色んなインタビューを受けた時に、ちょっと分かり辛いんで、料理家って書いていいですか?などと言われたんですけど、最初はそうですよねって、どうぞ、って言ってたんですけど、途中から、いや、それって決めた意味ないなって思って、カリナリー・ディレクターって書いてくださいって、少しづつ、少しづつ言い続けていたら、「カリナリー・ディレクターとは?」という特集を組んで頂いたりとか、テレビに出させてもらったりして。
 カリナリーという言葉って飲食全般を指すんですよね。料理だけではなくて、そこに飲み物があり、器があり、テーブルがあり、空間があり、そういう空間を使った所作があったり、全て飲食に携わることに対して、ディレクションできる人間ということでカリナリー・ディレクターという肩書きを名乗らせていただいています。

カリナリー・ディレクターの仕事は飲食全般も関わること
学び続ける毎日

カリナリー・ディレクターと名乗り、10年間、どんなお仕事をなさってきたのですか。

中東:本当に沢山、色んなお仕事をさせてもらっているんですけど、料理の監修を含めた飲食店全体の監修であったりとか、サービスをどうするかとか、日本人の食に対する精神性を持って、どうチーム・ビルディングしていくかとか、人材育成の部分だったり。
 あとは出汁屋さんの商品を、次世代に向けて新しいブレンドを作っていくとか、鰹と昆布が採れなくなった時に何か違う出汁が作れへんかな、という開発に携わらせてもらったりとか。あとは地域の生産者が作っているものに対して、どう付加価値付けていくか、っていう地域のお仕事をさせてもらったりとか、本当に多岐にわたります。

沢山いる専門家の方々とはどのように協業するのですか。

中東:本当に色んな専門家の方々との協業があるんですが、その協業する専門家に対して、ある程度、自分の意見も伝えられたりとかしないといけないので、全てに対して、やっぱり、精通している必要もあるし、もちろん知らないことも沢山あるので、学びながら、自分の知っている領域と掛け合わせて、新たな発想を生んでいったり、それがすごい仕事の面白さかなと思っています。
 でも、それっていうのは、大人になってから身に付けた事ではなくて、自分は、ラッキーにも料理一家に生まれ育って、本当に物心つく前から包丁を持っていて、料理をすることに対して、全くシームレスな感じで料理をする感覚があるんです。だから、プライベートで家にいたら普通に料理します。家で料理しない料理人って結構いるんですけど、僕は料理をするということは、本当に何のプレッシャーも無い感じです。スッと料理に入れるし、料理をするという事が当たり前で育っているので。むしろ、料理に対して、何でこうなんだということを常に考えるという事が昔から良くあったので、飲食に対して色んな角度からの考えを持って、アプローチしていくっていう事が自分にとっては、やっぱり、最適解なんじゃないかな。だから、この仕事して、面白いしかない、っていう感じですかね。

食文化はつながりの中でつちかわれているもの
京都は色んな地域や人に支えられている

食が中心の家庭だったんですね。

中東:毎日、ずーっと24時間365日、食のことばっかり考えてる家庭って、そうそう無いんだな、っていうのを結婚して初めて気づくって言うぐらい、食にどっぷりの家族でした。
 「食」って、飲食店だけでは成り立たなくて、そこにいらっしゃる仲買人の方とか、生産者の人たちとか、器を作ってくれる作家さんであったりとか、和の空間をずっと手にかけていく職人さん、大工さんがいたりとか、昔から繋がっている御軸があって、骨董も器も、作った人はもう何百年も前の人で。
 色んな人たちが手にしてきたものを、自分たちが今持っています。けれど、これは自分たちの所有物じゃなくて、時代の中で一瞬、自分たちが使わせてもらっているだけで、もしかしたら、これがまた自分たちの世界じゃない違う人の手に移るかもしれない。自分たちっていうのは、色んな人の関わりの中で生かされているんだっていうのを、本当この商売をしていると、実感というか、それが当たり前で育つんです。
 本当に「色んな人に感謝しなさいよ」っていうのは、小さい時からずっと言われていて、例えば、これが安いから、ほなネットで買った方が安いからではなくて、「今までつながっている、この人たちに儲けさせてやればいいやんか」っていう、父の言葉もあったりとかして。
 やっぱり、そういうつながりというものを、本当に大切にするというか、もう、当たり前ですよね。わざわざ考えてするというよりも、「そんなん当たり前やん」っていう感覚で、ずっとやってきているので。これをどう意味として伝えていったり、言語化して、大切さっていうのを、そうじゃない人たちに伝えていくっていう事が、今後、やっぱり、必要なんじゃないかなと思います。
 京都って京都人だけで成り立っているまちではなくて、どんどんグローバルな世の中になっていく中、京都に対して憧れを持って来る人たちもいたり、色んな人やカルチャーがミックスされていく時代、そして、スピードの早い時代に、アイデンティティっていうのは、それを持っている人たちが大切にして、これをどう伝えていくか、っていうのを、考えないといけない時代かなと思っています。それは、このスピード社会の中で生きている自分たち世代の役割だし、そこはしっかりやっていかないとなと思っています。

生かされているという感覚が、当たり前だったんですね。

中東:何年か前に、ちょっと有名な雑誌で特集を組んでいただいて、インタビュー記事の時に僕もまだ若かったんですけど「京都には美味しいものがない」って言っちゃって、それがデカデカと載ったんですよね。その意味としては、京都っていうのは色んな地域に支えられて、ものが集まって、それを天皇陛下がいらっしゃったから、そういう職人が一杯いて、そういう知が集まり、出来ただけであって、何もいま京都で生きて、京都で生まれ育った人たちが偉い訳じゃなくて、京都でもてはやされるけど、自分たちが偉い訳じゃないよっていうのを言いたかったんです。それが、京都には美味しいものがないんですって表現だったんですが、後で、色んな人に「お前、刺されんぞ」って言われたんですけど(笑)。でも、やっぱり、その感覚は、持たないといけないよな、っていうのは思います。これだけ色んな人たちが来てくれはるっていうのは、何も自分たちの力ではなくて、それをやっぱり使わせてもらえる、いい環境にいるっていうのは確かなので、それは有り難く使わせて頂いて、何か提供できる立場になれたらいいなっていうのは思いますよね。

大切な思い合う心

京都の和食文化の衰退じゃないけど、危機感はありますか。

中東:危機感もありますね。やっぱり、こんな観光、観光、って言ってない時代は、”当たり前”を皆が言わなくても感じ取ってやっていた時代が、当たり前じゃ無くなっていて。やっぱり、伝えないといけない、見せないといけない、っていう時代なので、そこはすごく危機感としてあります。
 でも、「それをこうしなくちゃいけない」って言っても、多分誰もやらないと思うし、続かないと思うので、それをどう楽しみに変換して、”楽しいね、美味しいね“で、自然とその形を作っていくっていうのが、大切かなと思うんです。
 やっぱり、日本人のベース感覚として、例えば、お茶の世界に行くと、自分が頂く時に、その前に頂かれた方に、”もう一服いかがですか”ってお伝えしたり、次の人に、“お先に頂戴します、お手前頂戴します”っていう、”ありがたいな”っていう気持ちを表現して頂くじゃないですか。
 それを省いたとしても、日本人の社会で、例えば、大皿料理を4~5人の前にポンと置いた時に、みんなが多分自然と、これ何切れあるな、ここに4人いるから、1人何貫やなとか、これ自分が最初取っていいんやったっけとか、周りの人を考えて“お先にどうぞとか、お先にいただきますね、こちらどうぞ”っていう、気遣いとか、思い合うっていう心が、普通にある国やと思うんですよ。
 これは京都の人だけじゃなくて、日本人として持っている感覚。これっていうのは、本当に平和につながるなっていうのは思ってて。やっぱり、この日本の食っていうものを考えたときに、さっきの左にご飯があって、右に汁があって、これをお箸で食べるという精神性もすごく大切なんですが、この“思い合う心”っていうのが、本当に一番大切なんじゃないかなっていうのを、いろんな活動を重ねて感じています。だから、この”思い合う心“というのを持った上で商売をしているのが、この京都の地かなと思うので、そういうことを、どう広めていくか、伝えていくかというところが、今一番自分の中でも思っている部分ですかね。

「SOAN」での立場を教えてください。

中東:飲食の部分でのディレクター、或いはプロデューサーという立場です。最初のコンセプトから、提供する食べ物や飲み物、サービスの仕方に至るまでを、お伝えするアドバイザー的な関わり方で一緒にやらせていただいています。ただ、料理を出せばいいという話ではなく、日本の良きもの、京都の編集力などを、いらっしゃった方にどう伝えるか、伝えつつお料理を出します、ということからのスタートなので、考えることがすごく多くて、常にこれで伝わるかな、伝わらなかったら、どう変化していけばいいのか、そんな臨機応変さが求められる店づくりです。
 今、この「SOAN」が考えている事は、お寺のお庭と一緒で、ノーゴールな手入れをずっとしていくみたいな感じじゃないかと思っています。そういうお店作りは、ゴールが見えない分、難しさもあるんですが、丁寧さが必要で、例えば、お庭の木々を剪定する時に、10年後、20年後を考えた上で剪定しないといけないのと同じです。
https://soan.release.world/

47都道府県に思いをはせたメニュー

地域の文化と取り組むとき、何かノウハウはありますか。

中東:もう体当たりです。どれだけ本を読んでも、行って感じるに勝るものはないなって思います。20年前にアメリカに行って、日本の事だと思って伝えていた事が、実は京都だけの事であって、それがちょっと、ハッとさせられて、10年前に起業した時くらいから、日本全国色んな所を回るようになって、色んな生産者と出会い、色んな地域の人とお話をさせてもらって、地域の食を食べさせてもらって、語らう中で、この地域にはこういう事があるんだと一つ一つお話を聞いたり、その食材を使わせてもらったりとかして、理解が少しづつ少しづつ深まっていきました。
 今年は30代最後の年で、40代に向けてこうなっていきたいというのが自分の中にあるんですが、それに向けて、一旦、やっぱり、47都道府県というのを、浅くてもいいからまず広く知ることが必要だなと思い、年間52週間あるうちの47週間使って47都道府県に思いを馳せた47メニューっていうのを、自分の店で週2日間、毎週、全く違う9品のコース料理にして提供しました。
 カタチにして、初めて感じる、知ることっていうのは、やっぱり、多いんです。知ってはいるけど、使ってみて、やっぱり、こうだったかとか、こうなったかっていう、あの食材ってこうなんだとか、あの地域の味ってこうなんだっていうのが、すごく感じ取れて。今、それがすごい自分の身になっていっているんです。これをどう来年以降、表現し、カタチにしていくかっていうのを、今考えている最中です。

具体的なエピソードを教えてもらえませんか。

中東:例えば、静岡。静岡は関東なのか中部なのかみたいな場所じゃないですか。「静岡おでん」という黒いおでんがあるんです。食べたことも見たこともなかったんです。静岡おでんという黒いおでんがあるよと聞いて、黒はんぺんを炊いたときに淡口では合わないんですよ。濃口醤油かと思い、試してみたんですが、まだ、合わない。なんだこれ、と思ったとき、自然とたまり醤油を手にしたんですね。たまり醤油を入れた時に、一気に味がぐんと伸びて、圧倒的に美味しくなったんです。で、色が真っ黒になったんです。
 その時に思ったんです。愛知のたまり醤油の文化が江戸に向かう流れの中で、静岡の食材と、その流れの中で出会って出来たものだということが。「静岡おでん」を作ったときに、この位置関係と、それが作られた時代に、タイムスリップできたような、そんな発見やったなという、そんな思いがありました。

次の世代に受け渡していくこと

京都の和食文化の状況をまち全体に広げていくとすると何が必要でしょうか。

中東:古いものを古いまま保っていこうとしたって、やっぱり、若い世代は興味を持たないし、興味を持たなければ手にもしないし、食べようともしない。知らぬ間に忘れ去られるし、消えていく存在になる。だから、やっぱり、今の時代、その時代に息づいている人たちに、興味を持ってもらう形にしないといけない、していく必要がある。そこに対して知恵を絞る。業界全員で知恵を絞る。
 その答えは、みんな持っていて、改めて喋らずとも、みんながその感覚で作り、商売をしているのが京都に生まれ育った人たちのビジネスです。でも、一方で、これだけインバウンドが来て観光地になり、その人たちに対してだけの商売が成り立つようにもなってきていて、「そんな感覚知ったこっちゃない」でビジネスをされる人たちが、スッと入ってきて広がっていったりしているところが、少し危うさを持つというか、それが主要な考え方になってきたときに、中々、京都が京都じゃなくなっていく気はしているんです。
 そうならないために、どうしていったらいいんだろうっていうのは、今考えている部分ですかね。だから、それに対しては、多分、京都で生まれ育って、この商売をずっとしている人たちが、誇りを持って、やっぱり、自分たちがやっていることが、この京都を作っていることなんだって、京都のまちを作っていることなんだっていう認識を持ちながら継続していく。継続していくっていうのは、古いものをやり続けるだけではなくて、次の世代にどう解釈してもらうかを考えながら、読み解いてもらえるようなかたちを作っていく、っていうしかないのかなとは思うんです。