「和食文化」の課題は文化の担い手のみでそれを守っていること
忘れてはいけない背景にある営み
「和食文化」の課題は何でしょうか。
桜井:シンプルに言うと、伝統をつかさどる文化の担い手の方々が、一生懸命守ってくださっている、というのが状況だと思っているんですね。食から少し離れますが、着物の業界もそうですし、工芸品の業界もそうなんですけど、道具が一つなくなってしまうと、作れなくなっちゃうじゃないですか。
食って、森から始まって、もしくは海から始まって食卓に並ぶ迄で、何一つ切れてはいけないわけですよね。何一つ切れてはいけないんだけども、どんどん切れてる。それは食材もそうですし、技術もそうですし、道具もそうです。そのような状況の中でも自分たちが続けていくために、なるべく全てを買い支えるというか、仲間たちへの発注を大切にして、値崩れを起こさず、一生懸命やってらっしゃる方々がとても多くてですね。そういう姿を見ていると、これってみんなごとなのに、それを担っている方々だけに任せていいんだろうかっていう思いが、この根底にはあります。そのあたりが課題かなと思っているんですね。
担い手だけでは守れないですよね。
桜井:僕たちは買うということに慣れていて、作られるということに慣れていない、と言うか、忘れてしまったんだなというのを、すごく思っています。ここにあるお米には、お米を作ってくださっている方々がいるし、美味しいお米になるためには、30年くらいかけて土をつくり、先代から素敵な農作業をしてくれていないと、結局はいい土ができなくて、いいお米にならない。誰が作ったか分からなくなる位の年月の先に、今お米を作るっていうことがあるのに、僕たちは、ただ何も知らずにお米を買うだけで、結果的に色んなものの後ろにある、色んな営みが分からなくなっちゃっているんだろうなと思って。
だから、作るってことを辿っていけるような機会をどんどん生み出していきたいなって思っています。食べるに至るまでの流れを、皆さんにお伝えするかってことができたらいいなと。それが、僕らができる一つの解決策かなと思っています。
本当に、僕ら、出来上がったものばかり買っているし、出来上がった体験しかしてないので、裏側の作られていることが見えなくなっているというのは、多分、モノだけではなくて、全てのサービスに当てはまるんじゃないでしょうか。おじいちゃん、おばあちゃんたちの世代は、それを当たり前に見てきたと思うんですが、僕らはそうじゃない時代に育っているので、全然見ることが出来なかったのだと思います。
地域の文化全体を守れるのが「食文化」
「未来を歓迎する経済」ということを掲げていらっしゃいます。
桜井:未来が歓迎する経済とは、地球上に育まれた生物の多様性のように、文化も多様な姿で広がっている世界を可能にする経済だと思っています。地球上に、本当に沢山の文化があるにも関わらず、どこに行っても、同じ味になる。もしくはどこに行っても同じものを買える。それは、一つの大切な進歩だとは思うんですけど、それで失ってしまってはいけないものもあるなと思っています。
ですから、そのバランスが取りたいなと思って。生物と同じように、世界中の経済が、世界中の都市なりに、面白いものであって欲しいなって。それが、未来が歓迎する経済なんじゃないのかなって思っています。そうすると、地域の中で頑張っていらっしゃる、それを独自性としてご商売なさっている方々が、どれだけ続くか、増えるかっていうのが、文化を守ることになるんだろうなと思って。そういうことをご支援するというか、サポートさせていただくような仕事を作ろうっていうのが、それを掲げているきっかけですね。
「食文化」だけでなく、文化全体ってことですか。
桜井:例えば、京都にはお茶の文化があります。お茶は本当に総合芸術で、空間も衣装も食事も、本当に何もかもが、まだ石油に頼っていない時代に(自然と一緒に生きていた時代に)、お茶の文化を表現するものとして作られたものだと思うんですね。
それを、僕らは伝統的な営みと言うよりも、それが「食文化」だと感じたんですね。その「食文化」って言う時、お茶の人たちだけが頑張っているだけでは、お茶が守れなくてですね、守るというよりは紡げない。次の世代に送れない。
一例を挙げると、竹細工をやってらっしゃる方は、茶道に用いられるものもやっていらっしゃいますけど、お弁当の籠を作っていらっしゃったりとか、笊や竹垣を作っていらっしゃったり、さらには華道の道具も作っていらっしゃいます。そんな職人さんに、茶道のことができるようなカタチを取りつつ、料理から建築まで色んなところから、色んな形でお仕事が生まれる状況が大切だなって思った時、「食文化」こそ、やっぱり一番中心にやることなんじゃないのかと思ったということです。要するに、その地域にある、一見すると食文化には見えない文化的なことも守れるのが、食なんじゃないかなと思ったっていうところですかね。
食文化は今、食だと思っていることだけで出来ていない。食材や調味料はもちろん、着物であったり、建築であったり、家具や道具であったり、それらの素材を育む大地や森や海、素材を美味しくする知恵や技などなど、ありとあらゆるもので成り立っているので、その一部が一個でも欠けると、ずっと続いてきたことすら続かない。「食文化」が地域全体の文化をつないでいるのかなと考えています。
バリューチェーン全体で独自性を追求している
小さく、長く、回す経済
色々な実証実験などの活動の中で感じられた事は何ですか。
桜井:長く続いていらっしゃる旅館さんであったりとか、地域の中で個性があって、選ばれる料理店さんであったりとか、あとは体験施設もそうかもしれないですし、地域の方々が誇りに思っているところって、バリューチェーン全体で、独自性を出していらっしゃるんですね。
生産者の方から、途中の加工をなさっている方々、厨房やサービスの方々まで全員がお互いを知り合っていて、お互いに値崩れを絶対起こさずに、きっちりと価値を上乗せして、最後、生活者まで届くってことをなさっています。そういったことが、やっぱり、どこにも無いものを作っていくので、沢山の量は作れないかもしれないですが、ユニークさという意味で、替えのきかない、ずっとファンの続く、そういった経済というものを、皆さん回していらっしゃるな、というのはとても感じますね。
規模は大きくはないかもしれない適正な規模で、ずっと長く続くものをやっているっていうことは、実は経済的にも、たくさんのことが回っているって思いますね。
例えば、100万人の方々にお食事を提供する場合、1年間で100万人なのか、1年間1万人で100年間、お食事を提供するという2つのケースの場合、1年間か、100年間かの違いはありますが、100万という、経済の量としてはイコールですよね。でも、人も自然も関係性も長い時間でなければ育めないことがあるわけです。
地域の中で続けようと思った時の経済(1年間1万人で100年間)であれば、そっちの経済の回し方は、すごく皆さん一生懸命やってらっしゃるなと思うし、地域に長く愛されてきた営みから学ぶことは多いなと思いますね。僕たちは、多分そういう所に旅行に行きたいし、そういう事こそ、経験したいと思うはずなので、本当に見方を変えると、経済を回し続けていらっしゃるという意味で、京都をはじめ文化的な地域にある経済は素敵な経済のあり方だなと思います。
守るだけでなく、世代を超えた実験も続けている
時代が変わっていく中で、守るだけでなく変化についてはどうですか。
桜井:皆さん同じことだけなさっているんじゃなくて、長い時間軸と関係性の中で何度も実験してらっしゃるみたいなところは、とても感じるところはあります。
例えば、一緒にやっている中東さんであれば、ずいぶん前から野菜出汁にチャレンジなさっています。野菜出汁を取ろうと思ったら、今度お出汁屋さんと一緒にチャレンジすることが重要になる。鰹出汁を作っていた方々、わかめや昆布を採っていた方々に、違う加工技術を持っていただかなきゃいけないわけですし、そうすると、お出汁用の椎茸であったりとか、お野菜を採られる方々との連携も必要になる。それって今年だけでやろうと思ったって出来ることじゃない。1年に1回しか野菜はならないので、お出汁用の野菜にするには、今年ダメだったら、また来年違う形で栽培していただかなきゃいけないわけじゃないですか。そういったことを、ずっと続けていらっしゃって。
気候変動があって、日本中で採れるものが変化することも分かっていることなので、いずれ、僕たちの子どもにとっての出汁の味は、僕たちが知っている出汁の味ではないのかもしれない。そんな変化は、絶対、起こるのだと思います。変化を感じながら、守るだけではなく、チャレンジし続けている。それは本当になさっていますね。
そこのサイクルも面白いですよね。野菜は1年に1回、だから、どんなに頑張っている農家さんでも、80回(80年)ぐらいしかチャレンジできない。林業家さんはもっと長いので、自分たちが伐採するものは、おじいちゃんが植えたものだから、自分たちのチャレンジの結果は分からないことが多いんですよね。気の遠くなるような長い営みで、技が連なって、ものが出来ている。それを僕らは、ご飯をよそって食べる訳で、本当にすごい長い時間の中で文化は変わる。ずっと、そういう風な形で、世代を超えてチャレンジしていくってことを、先人たちはやってたんだろうなっていうことが、ここ数年で、ようやく、想像できるようになりました。
ナショナルチェーンと地域経済はレイヤーが違う、全くの別物
替えのきかない独自の食文化の生態系
ナショナルチェーンと地域経済は共存可能ですか。
桜井:レイヤーが違うことかなとは思いますね。どちらも大事なことだと思っています。例えば僕らが海外に行った時に僕らがよく知っているコーヒーチェーンがあればホッとします。それはそれで、すごい時代だし、豊かなことだなと思うんです。だけど、やっぱり長く続けてらっしゃるっていう中で出来ている技や味は、やっぱり、替えがきかないので、それは先ほどの規模を追っていては中々出来ない事なので、共存というか、全然違うものだというのは、とても思いますね。
全然、違うものなんですね。
桜井:中東さんとの実証実験の旅の中で、非常に面白いシーンがあったんです。錦市場に中東さんと一緒に、朝集合して行くんですね。錦市場はまだ観光客の方が、ちらほら出てるような時間帯に行くわけですけど、多くのお店のシャッターが閉まってる中で、中東さんがトントンってすると、バッと入れる場所があるんですよ。入ると、すごい活況なんですね。仲卸さん、お魚屋さんがお魚を捌いてらっしゃって、「おお!」みたいな感じで、「今日、こういう魚が入ってるよ」みたいに、そういう会話を見せていただくんですけど。
面白かったのは、生け簀に鱧が並んでいて、それぞれに「これは〜〜」「これは〜〜」って有名店の名札が置いてあるんですね。籠の上にその名札が浮いてて、同じ鱧なのに、何でこれはあのお店で、何でこれはあのお店なんですかって聞いたら、「ダメだったら怒られるんだよ」っておっしゃ言ったんですね。波が荒いところで獲れた脂の少ない鱧は、あそこのお店が好きだろうから獲れたらご案内するし、こちらの脂が乗った鱧は、あそこのお店が好きなんだろうなと思って、そのお店にご案内すると。でも、ダメだったら、怒られるんですって。
その時に、「あぁ、ダメだったら怒られるんだ」っていうことが、僕は長く続けられるって事の前提だなと思ったんです。ダメだったから、他の所に変えようとか、もっと安い所で、もっといい所でって言ってたら、その関係性って成り立たなくて。続けるってことを前提にしてらっしゃるから、今回良くなかったよっていう、連絡が来るわけです。良かったら何も連絡は来ないんだけど、ダメだったら連絡が来ると。
それ、すごいコミュニケーションだなと思って、この仲買いの方も、その先のお店の味を作っているんですよね。すごいなと思って、そういうことが。仲買いさんの先の市場の方もきっとそうでしょうし、結局、お互いがお互いにどういう調子のものを持っていけば、どこで整うのかってことを、分かっていらっしゃってやってる。この関係性の強固さっていうのは、やっぱり、ドーンって買ってすぐにできることじゃないなと思います。
だから、そういう意味で、ナショナルチェーンと地域経済は違う味として共存できると思います。経済論理だけじゃないですよね。つながりですよね。自分の技や味を支える本当にパートナーだと思うんですよ。支える方々にそれを知っていただかないと、自分の味のものは手に入らないわけですし、それが、ずっと続いている。なので、本当に替えがきかない、自分の技の延長って言うか、そういった感覚をお持ちなんだろうなっていうのは思いますね。
ディスティネーションストア「SOAN」
ディスティネーションストア「SOAN」をオープンしましたね。
桜井:お皿にあるものは、全部ひも解くと膨大な知恵でできていて、その膨大な知恵を、みんなと一緒に探求したいなっていう、そういう場所ができたらいいな、と思って作りました。「いただきます」っていうのが、そのまま「行ってきます」みたいな感じで、旅に出られたり、学びの機会があったり、実際に作ってみる教室があったり、そういった場所を作ってみようということで、今回この「SOAN」という場所を作りました。
https://soan.release.world/
その探求するというのを、もう少し具体的に教えてください。
桜井:例えばお米。僕たちが使っているお米は、長野県の飯山という場所で、天皇献上米にもなるようなお米を育てている方の田んぼで教わりながら僕たちも一緒になって作っているものです。そこは、毎年、雪が3〜4m積もります。山の一番上の、すぐゲレンデという所に田んぼがあるので、そこの雪どけ水が汚れたら、下までの田んぼ全部が汚れるし、当然、その後の30年かかって地下水になるときには、汚れたものになってしまうので、農家さんは無農薬でやっていらっしゃっています。
農薬や化学肥料を使わなくても、そのクオリティのお米を作れるということに出会ったときに、これ面白すぎて伝えたいし、食べてみてほしいじゃないですか。そういったものを、日本各地で出会って、それを編集して、僕たちなりに提案として見せる、ということを、今回この場所で、やらせていただこうと思って始めました。
「食文化」は地域文化そのものですものね。
桜井:だからこそ、「SOAN」は、そういうものを可視化して共有するためにあると思います。せっかく、そこに面白いことがものすごく一杯あるんだから、それをみんなと分かち合いたいなっていうのが一番ですね。
RELEASE;のメンバーで映像作家がいるんですけど、彼女と工芸を森から茶室までずっとドキュメンタリーを撮るように回ったんですね。一番最後に、どうだったって感想を聞いた時に、「人と自然が調子を整えてる」って言ったんですよ。すごい表現だなと思って。その「調子を整える」ということを、林業家であれば、それこそ80年後に採れるために土の中を掘って水の流れを見ることから始めてくださっている。農家さんであれば毎年毎年お野菜をより美味しくなるように試してくださっている。先人から教わって毎食毎食、技を磨いている料理人さんも、技を支える道具を作る職人さんも。「美味しい」ってところに向けて、みんなで調子を整えてる。その豊かさと、面白さ、美しさを、どんどんみんなに知ってほしいし、一緒に見た方が感動できると思うんですよね。それは、京都の務めだなとも思っていて。長い年月、京都ってそういう役割だったんだろうなというのも思っているので。
京都の編集能力の高さ
小さな経済をたくさん回しているから高い編集力が保たれる
「SOAN」は京都だからってこともあるんですね。
桜井:京都の食文化作ってきたのは、京都はもちろん、淡路島であったりとか、伊勢だったりとか、若狭だったりとかっていうところから運ばれてきたものを、公家の方々から庶民まで食べるようになってきたってことの連続だと思います。
だから、京都は京都の中だけで成り立ってきたことはなくて、各地の良いものを編集して、時代とその時々の一番国際的な表現との接点を携え、日本としてお伝えすることのアイデンティティを持って、また各地へ伝えてきたのが京都なのだろうなと思います。僕らが京都でやるんだったら、そういう役割をするのが、京都として地球の中でやれること、都市としてできることなのかなっていうのは思いました。京都は編集能力が高いじゃないですか。
確かに高いですね。
桜井:高い編集力を保てるような、経済のまちだとも思っていて。例えば、八ツ橋であれば、本当にたくさんの味の違うお店がある訳じゃないですか。和菓子屋さんも今でも街角に沢山残っている。鷲田清一さんが「京都には並び立つ知恵がある」というコメントをなさってましたが、要は、他所の誰かのキャパシティまで取りに行かずに、自分のキャパシティを育てながら続けようと思っているから、そのユニークネスという独自の面白さを大事にしながら、その個性のまま続いていく。真似することは恥ずかしいことだし、面白くないとされる。
沢山選択肢がなかったら編集できないと思うんですけど、編集に適した個性豊な営みが、生まれて続くようにできているまちだと思うので。他所様にご迷惑をかけず、他所様にはできない違いを、違いを、違いをって作り続けてきたことが、千年続いているんじゃないかなっていう気はしますけどね。
京都と東京の編集の違いは、スケール(規模や量)とスピード(時間感覚)
編集って面白い視点ですが、京都と東京の編集方法の違いみたいなものはありますか。
桜井:まずどちらも編集ができるほどに豊かなまちだっていうことは思いますね。長く続くであったりとか、品格であったりとか、ちょっとした控えめ感みたいなものを京都の方は好きだと思うので、それを感じない表現であれば自分たちのじゃないなって感じると思うんですよ。それは、やっぱり流行らないし、受け入れられない。でも一方で、東京であれば、新しいであったりとか、より強いもの、世の中を変えていくって事のスピードや大きさに関して評価されるように見える。
スケールとスピードが違うっていうのが面白いですね。
桜井:京都でよく言われるんですけど、お店を出してから3年間は近所の方々から様子を見られるって言うんです。3年経って、ようやく近所の方々が来てくださるようになった、来てくださるようになって初めてみんなホッとするんです。僕たちは、京都で店づくりを始めるような方々のサポートを沢山するので、近所の方々が来てくれるようになりましたっていうのは、一つの成果報告事項みたいな感じなんです。
編集地というのは田舎から集まって来たものが編集されて提供される加工のまちですね。京都は食材と編集の距離が近い、東京だと東北や九州などどんどん膨れ上がってる。
桜井:京都には編集が可能なほどに、個性的なお店が、小さなお店が、並び立っている。並び立っているからこそ、その先の生産地の技も多様なカタチであり続けることができるんですよね。一方で東京近郊は大量に消費できてしまう規模があるので、一気に変わっていくことができてしまう。
例えば、東京の人々が食べるものに合わせて、近郊の農家さんが作るものもどんどん大量に変わっていける。他の地域では起こり得ないスピード感と量で風景が変わっていく。京都には量と規模がないから、ずっと個性的であり続けられる。量と規模がないから、変化のスピードも遅くなり、だから、生産者の方々も個性的にいれるのだと思います。
インバウンドがたくさん起こっているからこそ、地元市民を大切にする
インバウンドがすごいことになってますね。
桜井:インバウンドが沢山になるほど、老舗の方々は、地域の方々に知っていただくとか、地域の方々を招くとか、地域の方々が関わりやすくする工夫をなさっているということを、よく聞くようになりました。
インバウンドが進むほど、地域の方々とのコミュニケーションを、より密になさるっていう方々が多いなと思います。
例えばある老舗旅館さんは、地域の方々が集まれるホールを新たに作られました。その老舗旅館さんに地元の人はなかなか泊まらないのだけれど、旅館の中がどうなっていて、どういう職人さんの仕事があって、どういう方々によってその旅館があるまちや景観が成り立っているのかっていうことを地域の皆さんが知れる機会を開く工夫をなさっています。そのようなことは色々な分野で起こっています。所謂、ラグジュアリーと一括りにされてしまうような所こそ、自社のことだけでなく、みんなでやらないとっていうことを、自助努力でなさっている。そのような経営姿勢からは、食文化っていうものを支えているのは、実は地域全体であると、学ぶところが本当にたくさんあります。
生きている時間軸
京都の底力を感じました。
桜井:僕たちがお世話になっている400年続くお香の老舗「松栄堂」さんの先代の社長さんが、よくおっしゃっていたのが、「京都に住んでるっていうのは、住みながら、ポケットにミュージアムのチケットをもらってるようなもの」だから、どんどん、そういう目で周りを見たほうがいいよということでした。四条大橋から見える比叡山は、春に見ればそれは「春の曙」って『枕草子』で読まれたまんまなんだから、みたいな。
本当にそうだなと思うんですよ。そういうことが折り重なっているまちが京都だなと。折り重なり、続けられるっていう豊かさが、一掃されたりとか、一色になっちゃったりした未来を、次世代に継ぎたくないなと。未来が歓迎する経済が、なるべく多様な形で、大きくなくても長い知恵を紡いでいくようなお店がいっぱいあるような、そういうことがやりたいなっていう、元に戻るとそんなことのためにやっています。