133 ギャルリ・ヴィヴィエンヌ(フランス共和国)

パサージュ 歴史建造物

パリのパサージュは、女性が着飾って歩ける公共的な空間を初めてパリという大都市に提供することになり、人気を博す。19世紀の新しい都市における発明品である。しかし、このパサージュも1920年代頃から寂れていく。しかし、近年、またその価値が見直され、歴史遺産として再生されている。そのまさに代表的な事例が、このギャルリ・ヴィヴィエンヌである。

ギャルリ・ヴィヴィエンヌの基本情報

国/地域
フランス共和国
州/県
パリ県
市町村
パリ市
事業主体
Maître Marchoux(公証人組合長)
事業主体の分類
個人 
デザイナー、プランナー
フランソワ・ジャン・ドゥラノワ
開業年
1823年

ストーリー

 ギャルリ・ヴィヴィエンヌはパリ2地区、地下鉄ブルス駅のそばにある屋根付きパサージュである。1823年につくられた時は、その土地を購入して開発した公証人マルショーの名前を取って、ギャルリ・マルショーと名付けられたが、1825年には現在のギャルリ・ヴィヴィエンヌへと改名される。パリには19世紀に多くのパサージュが建設されたが、ギャルリ・ヴィヴィエンヌはその中でも最も象徴性を有していたものの一つで、当時の裕福なブルジョア的パリ市民を惹きつけた。そして、そのシンボル的な存在感は現在においても際立っている。色彩豊かな床のモザイク、太陽光を優しく取り入れるガラス屋根。ガラス屋根からの光溢れる円形の広間(ロタンダ)の空間美。店ごとにつくられた手彫りのひさし、精巧なデザインが施された錬鉄で装飾されたアーチ型の窓などが、行く人の目を楽しませる。そして、アパレル店、喫茶店、レストラン、ワイン・セラー、古本屋、雑貨屋などの店舗。特に、プティ・シャン通りに面するビストロ・ヴィヴィエンヌは、そのアンティークな店内のインテリアなどに惹かれて、昼夜を問わず店にはお客が溢れている。
 しかし、このギャルリ・ヴィヴィエンヌがつくられてから持続的に成功を収めてきたわけではない。19世紀後半に行われたオスマンのパリの大改造によって、ギャルリ・ヴィヴィエンヌの大きな特徴であったその立地の優位性が薄れ、有名店がシャンゼリゼなどに移転していき、ギャルリ・ヴィヴィエンヌからは人々の足が遠のいてしまった。そして、衰退したギャルリ・ヴィヴィエンヌを壊す考えまでも出てきた。
 そのような状況を大きく変えたのが1961年の丸天井の復元である。さらには1974年にはそれが歴史記念物に指定されると、1980年代後半からジャン・ポール・ゴルチエや鳥居ユキといったファッション・デザイナー等がここに店舗を構えるようになり、ギャルリ・ヴィヴィエンヌに再び賑わいが戻ってきた。
 現存する店舗で開業以来、ここで経営を続けているのは本屋(Librairie Jousseaume)とデリカテッセン(Legrand Filles & Fils)である。また、ワイン・セラーは1880年の開業である。新しいテナントがギャルリ・ヴィヴィエンヌを蘇らせたが、一方で、100年以上の歴史を刻んできたこのような老舗がこの商業空間を特別なものにしているのは間違いがないであろう。
 その長さは途中、屈曲しているが176メートルあり、入り口は3つある。

地図

都市の鍼治療としてのポイント

 パリのパサージュは、19世紀の前半に集中的につくられた。パリ市内では当時、150ほどのパサージュがつくられた。『パサージュ論』のヴァルター・ベンヤミンは次のように記している。
「パサージュは、産業の贅をつくした近ごろの考案物であって、天井をガラスばりにし、床に大理石を敷いた歩廊であり、屋並のあいだを通り抜けてゆく。その屋並の家々の持ちぬしたちが、一致した思惑から投資したのだ。上から採光する歩廊の両側には、優美をきわめた商店が立ちならんでおり、その結果そのようなパサージュは、それ自体ひとつの町、ひとつの小世界となっている。」
 パリのパサージュは、女性が着飾って歩ける公共的な空間を初めてパリという大都市に提供することになり、人気を博す。19世紀の新しい都市における発明品である。
 しかし、このパサージュも1920年代頃から寂れていく。しかし、近年、またその価値が見直され、歴史遺産として再生されている。そのまさに代表的な事例が、このギャルリ・ヴィヴィエンヌである。
 このパサージュに魅入られたのは、『都市の鍼治療』というコンセプトの考案者であるジャイメ・レルネルも例外ではない。彼は若い時にパリで生活していたが、都市の魅力とは何かを若い彼が考察するうえで、パリは多くのヒントを与えてくれた。そして、その一つが、まさにこのヴィヴィエンヌ・ギャラリーに代表されるギャラリー群であった。
 「これらのギャラリーが私を感嘆させるのは、古くて、そして覆われているからだけではない。私を感嘆させるのは、店のクオリティー、ディテール、そしてショーウィンドウである。レース、リボン、ケーキの飾り付け、オルゴール・・・・これらの商品をあたかも世界で最も価値があるかのように、誠意と情熱でもって売っているのである。」
 自動車とはまったく無縁の時代につくられた、人間がまさに主人公として設計された都市の商業空間。それをしっかりと現代にも引き継いでいるからこそ、パリという都市の魅力が今日においても廃れない。下北沢や神楽坂のような人間を主人公とする空間が道路整備事業で破壊されている状況とは大きく異なるのではないだろうか。

参考図書:鳴海邦硯『都市の魅力アップ』、ジャイメ・レルネル『都市の鍼治療』

類似事例

フォーブル・サン・タントワーヌ通り、パリ(フランス)
チェスター・ロウズ、チェスター(イギリス)
ポルティコ、ボローニャ(イタリア)
クローズ、エジンバラ(スコットランド)
ルツェルナ・アーケード、プラハ(チェコ)
メドラー・パサージュ、ライプチッヒ(ドイツ)
メリン・パサージュ、ハンブルグ(ドイツ)
24時間通り、クリチバ(ブラジル)
ラウベン、ベルン(スイス)
セントラル・アーケード、ニューキャッスル(イギリス)
バーリントン・アーケード、ロンドン(イギリス)
ロイヤル・アーケード、カーディフ(ウェールズ)
アデレード・アーケード、アデレード(オーストラリア)
ロイヤル・アーケード、メルボルン(オーストラリア)
ストランド・アーケード、シドニー(オーストラリア)
十条銀座商店街、北区(東京)
クリーブランド・アーケード、クリーブランド、オハイオ州(アメリカ合衆国)
ウェストミンスター・アーケード、プロヴィンス、ロード・アイランド州(アメリカ合衆国)
ニッケル・アーケード、アンナーバー、ミシガン州(アメリカ合衆国)
ギャルリ・コルベール、パリ(フランス)