高橋順一教授の
ライプツィヒ通信

高橋順一早稲田大学教育学部教授

10年に1回まわってくるという大学の特別研究期間により、ドイツはライプツィヒに滞在中の高橋順一早稲田大学教育学部教授。

ホスピタリティの研究 ~持続可能型の社会をめざして~」などの研究で、当サイトでもおなじみの 高橋教授は、かの地で何を思い、どんな研究に没頭しているのか、「ライプツィヒ通信」と題して、連載寄稿していただくことになりました。

第1回 ライプツィヒへ到着

 3月26日、成田を発って約15時間後の現地時間夜8時にようやくライプツィヒへ到着した。雨が降る中、迎えに来てくれたライプツィヒ大学日本学科の学生のオリヴァー君の車で大学のゲストハウスに向かう。15分くらいでゲストハウスに着いた。荷物を置いてからオリヴァー君と食事に行き、部屋へ戻ってからすぐに寝た。これからいよいよ1年間のドイツでの暮らしが始まる。期待と不安が頭をよぎる。

 今回のドイツ滞在は10年に1回まわってくる大学の特別研究期間によって実現した。今回ドイツでいちばんやりたいと思っているのは、まず第一に20世紀ドイツのもっとも独創的な思想家の一人であるテオドーア・W・アドルノの、哲学・文学・歴史・芸術(とくに音楽)にまたがる超領域的・複合的な社会・文化理論および美学理論についての研究を行い、その成果を論文にまとめることである。もう30年近くもアドルノを読みつづける中で、いくつか論文も書き翻訳も行ってきたのだが、ドイツ人さえ時にさじを投げるようなアドルノのテクストの難解さのために、まだ十分分かったという気になれないでいる。この機会にアドルノについての自分なりの考えをまとめておきたいと思っている。

 だがそれと並んで、いやそれ以上に重要だと思っているテーマが二つある。

 ひとつはドイツの環境思想の源流をさぐることである。ドイツが環境先進国であることはよく知られているが、それはたんに技術や政策だけの問題ではなく、背景にあるドイツの長い環境思想の伝統の問題としても捉えられなければならない。たとえばヘーゲルや詩人のヘルダーリンの友人だった哲学者のシェリングは産業革命の始まろうとする19世紀の初期に、自然を人間の支配や操作の対象などではなく、自ら産出するものとして、言い換えれば能動的な主体として捉えようとした。こうした「主体としての自然」という思想はヨーロッパの精神的伝統の中にしばしば現れる…


寄稿全文はPDFでお読みいただけます。

寄稿
高橋順一 早稲田大学教育学部教授

1950年、宮城県生まれ。立教大学文学部卒、埼玉大学大学院文化科学研究科修了。現在、早稲田大学教育学部(教育・総合科学学術院)教授。専攻はドイツ・ヨーロッパ思想史。
著書に、『ヴァルター・ベンヤミン : 近代の星座』(1991年、講談社現代新書)、『響きと思考のあいだ : リヒャルト・ヴァーグナーと十九世紀近代』(1996年、青弓社)、『戦争と暴力の系譜学 :〈閉じられた国民=主体〉を超えるために 』(2003年、実践社)、『ヴァルター・ベンヤミン読解 : 希望なき時代の希望の根源 』(2010年、社会評論社)などがある。

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